平和への道のりの中で

writer: 有馬 佑介

東京で小学校の教員をしていますが、普段の教員の仕事の他に、もう一つ力を入れていることがあります。それは原爆体験の語り部活動です。
僕は36歳ですから、もちろん自分自身が被爆したわけではありません。この活動では、平田忠道さんという方が経験したことを語っています。これは、東京都国立市が「くにたち原爆体験伝承者」派遣事業として行っているものです。この伝承者になるために、まずは伝承者育成プロジェクトに参加しました。

広島や長崎に特別なつながりを持っていなかった僕が、このプロジェクトに参加したきっかけは、2014年に勤務している小学校で行った授業にあります。以前から平和に関する学習に力を入れていたこともあり、知人が平田さんを紹介してくれ、クラスに招き、子どもたちに被爆体験を語ってもらったのです。
原爆投下から一か月間、当時14歳の平田少年がひとりきり、姿を変えた広島で母と弟を探し続けるというあまりにつらく悲しい話を、子どもたちは真剣な表情で聞いていました。
授業の翌日に子どもたちから提出された感想文には、原爆の悲惨さや平和の尊さを自分自身の言葉で訴える文章が並んでいました。平田さんの想いが子どもたちにしっかりと伝わったことが確認でき、担任としてうれしく思い、意義のある時間だったと手ごたえを感じました。授業を振り返りながら、数名の感想文を紹介し、最後にこうまとめました。「みんなにとって平和は当たり前かもしれない。でも、今回話を聞いた通り、ほんの70年前には、平和は当たり前ではなかった。そして、世界を見渡せば平和とはいえない場所が今もたくさんある。平和は誰かに与えられるものではなく、自分たちの努力で作り出していくものなんだ。みんなもどうしたら世界がより平和になるのか、これから考えていってほしい。」
それは、実に教員らしいきれいな言葉だったと思います。平田さんの話の後で、何人もの子どもたちがその言葉にうなずいていました。気持ちを込めて伝えることができたという実感もありました。でも、僕はその時、自分自身の言葉に違和感を抱きました。それは何か重い痛烈な違和感で、すぐに消えはせず、胸の奥にもやもやしたまま溜まってしまいました。
その日の夜、胸のもやもやと向かいあいました。すると、違和感の正体に出会うことができました。子どもたちの前で偉そうに話す自分に、心の中のもう一人の自分はこう言っていたのです。「じゃあ、お前はどうなんだ。」
「平和は自分たちの努力で作り出していくもの」そう語った自分自身は、何か平和に向け活動できているのか。何もしていないじゃないか。結局自分ができていないことを、教員という立場から子どもたちに押し付けているだけでないのか。自問自答にもなりませんでした。自分からの問いに明確な答えが浮かんでこなかったのです。
教員の中には、「教員としての自分」が語ることと、「わたくしとしての自分」の行動に齟齬があることは仕方のないことと考える人もいるかもしれません。たしかに僕もそのように思うことがあります。とかく模範的な内容を語る場面が多い教員としての言葉通りに生きることは、大変な窮屈さがあるでしょう。しかし、今回僕が語ったのは、平和という何より大切なことです。何より大切なことにも関わらず、自分はそこへ向け行動できていない。なのにそれを語るということは、子どもたちに対し非常に不誠実だと強く感じました。胸が苦しくなりました。
そんな悶々とした思いを抱えていたときに、国立市が伝承者プロジェクトを立ち上げることを知りました。何というタイミングでしょうか。伝承する語りは平田さんの語りです。あれだけ子どもたちの心に響く語り、それはぜひ伝承されるべきだと思いました。

こうしてプロジェクトに参加することになりました。月に1回集まり、平田さんから細かく聞き取りを行いました。後世に自分の体験を語り継いでほしいと強く願う平田さんは70年も前のことを詳細に語ってくれました。プロジェクトの途中には、実際に広島に行き、戦後70年目の平和記念式典に参列したり、あのとき平田さんが歩いた道のりを同じようにたどってみたりしました。
プロジェクトの中で、自分が広島・長崎と直接の関わりが無いことや、実際に体験したものではない他者が人の体験を語る意味などについて悩むことがありました。果たして他者である自分が平田さんの体験を語ることに説得力を持たせることができるのか。それはおこがましい行為ではないのか。僕に語る資格はあるのか。迷いました。でも、平田さんの話を何度も聞き、それをもとに構成した語りを繰り返し練習していくたびに、時折自分があの場に立ったような気になることがありました。俯瞰ではなく、ひとりの少年の目線の話、あの日見た風景、呼吸した空気の臭い、肌で感じた熱さ、そして胸を貫くようなひどくつらい悲しい思いを誰かが伝えていくことに意味があるのではないか、そう考えるようになりました。それはプロジェクトを修了し、実際に伝承者として語りの活動を始めるようになった今、さらに強く感じていることです。また、自分が広島・長崎と直接のかかわりがないからこそ、唯一のかかわりである平田さんの体験を染み込ませた語りができると今では思っています。

伝承者として語り部としての活動を始めて1年半が経ちました。これまで国立市の行事や市内の小学校の授業の他に、別の自治体の行事などに呼ばれて語る機会を設けてもらいました。毎回、語る相手によって、より伝わりやすくなるよう言葉や内容を手直しします。それは、言葉や内容はもちろん、何よりあのときの平田さんの気持ちを届けるためです。そして、僕自身の平和への思いも伝わるように、会場にいる人たちひとりひとりの目を見ながら、語ります。
語りへの感想文を読むと、それぞれの人の言葉で平和への思いが綴られており、その人の心の中にある平和への思いをふくらますことができたと感じられます。それは小さな小さな実感ですが、それでも自分が平和な世界を作るために少しでも力を出せたのではと思えるのです。

今も、教員として「平和は自分たちの努力で作り出していくもの」ということを子どもたちに伝えています。もうあの日のように自分の言葉に強烈な違和感を抱くことはなくなりました。その代わり、小さいですが、確かな実感を持ってその言葉を子どもたちに伝えられるようになりました。
本当に大切なことを、「教員としての自分」と「わたくしとしての自分」を分けることなく、ひとりの人間として子どもたちに誠実に伝えていける自分でありたいと思います。

writer:
有馬 佑介(アリック) Yusuke Arima
1981年生まれ。「一人ひとりの子どもの、心のすみずみにまで行きわたる教育を」という言葉を丁寧に抱く学校、私立桐朋学園小学校の教諭。そこにいる人たちが自由を感じられる教室・学校・社会づくりを目標とし、子どもそれぞれの関心や進度に沿った実践を展開している。自らが原爆体験語り部伝承者として活動するだけでなく、子どもたちが身近な人の戦争体験を聞き取り、伝承を行う活動を授業として行う。

著書:「クラスがワクワク楽しくなる! 子どもとつくる教室リフォーム」
ブログ:「行ったり来たり行ったきり」