インタビューvol. 5 藤原さとさん「探究からつながるよりよい社会」

 

一般社団法人「こたえのない学校」代表の藤原さとさん。「探究」をテーマにした、大人向けと子ども向けのプログラムを主催しています。よりよい社会を作っていくための教育とは何か、探究するとはどういうことなのかについて伺いました。

探究とは

ー「探究」をテーマにしたプログラムをしていこうと思ったきっかけは?

藤原:子どもが小学校に上がる前の段階でなんとなく小学校のことが漏れ聞こえてきていました。学び方や一斉授業、テストや通知表について、違和感を感じました。

あとは、途上国に出張で行っていろいろな国の人と仕事をしたり、日本の中でもいろいろな人と仕事をする中で、明らかにアウトプットを出していく人とそうではない人がいました。
アウトプットを出せる人たちには絶対的に強い探究心があったり、クリエイティブマインドネスがあったんです。それと同時に特に途上国での日本企業の振る舞いの仕方を見ていると、日本はこのままで大丈夫かなと思うことがいくつもありました。

この子たちが大きくなったときに、与えられたもの、言われたことをきっちりやるだけでは厳しいだろうなぁ、という不安もありました。
そんなことにモヤモヤとしているとき、ママ友と自分の子供のことだけではなく、次世代を担う子供たちのために何かできるならやってみないか、という話で意気投合しました。いろいろプランがあった中で、その彼女も私もいろいろな面白い人を知っているから、面白い大人と子どもをつなぎ合わせて何かやろうという話になりました。

でも大人に語ってもらったところで小学生が絶対面白がってくれないのは明らかでした。そのため、大人と子どもをつなぐ方法を探すためにいろいろな教育手法をリサーチしたり、現場を見に行きました。

そんな中、あるワークショップで「概念をベースとした探究学習(concept-based Inquiry)」という領域に出会いました。伝えたいコンセプトに基づいてワークショップを組み立てていく方法があることを知って、「おお!これだ!」と思ったのが始まりです。
そのときの衝撃はとても大きかったです。断片的な知識だけを覚えるのではなくて、何らかの形でつなぎ合わせてそれをコンセプト化していったり、そこで仮説を立てていって、構造化していきます。散らばったものを組み立て、自ら意味合いを見出す、そこにまさに人間の知の面白さがあると思いました。

「探究」をやりたかったというよりは、「探究」というものに出会い、「探究」というものに惹かれました。
探究とは、私にとっては、五感を使って入れた知覚情報を、何らかの形で処理してアウトプットするというプロセスそのものだったんです。

「探究とは何か」ということについては、感覚知も含めてみんな違います。私の中では、「モヤモヤ」「!」「?」がいろいろな順番で現れるもので、強烈な「!」体験を伴うものですが、デューイ的に言えば、不確定な状況から確定的な状況へと変わりそれが循環することであったり、いずれにしても、経験が重なる中で人は何らかの変容を重ねていくわけで、すごく大きく捉えると、その変容の部分をみんながどういう風に捉えるかということなんだと思います。

ただ、自分で探究したつもりになっていても、ネガティブな方向を追いかけてしまったり、ぐるぐるしているだけでアウトプットにつながらなかったり、社会性を伴わないことがあります。私はそれがあまり好きではなくて・・。何のために私たちは探究するのだろうと考えたときに、私たちは「よい探究がよい社会を作る」と考え、よい社会につながる探究を目指しています。

「こたえ」を飛び越える

ーなぜ「こたえのない学校」という名前にしたのですか?

藤原:学校にいる間はこたえのあるものにこたえていたのに、社会に出たらいきなりこたえのないものばかりやるようになる、それなら「こたえのない学校」をつくればいいんじゃない?と思ったのがスタートです。

厳密に言うと「こたえはひとつではない」という言い方になるかもしれませんが、例えば自分の人生をどういう風に歩んでいくかというのは自分で決めることなので、「ひとつではない」というよりは、その時点では「ない」という感覚だったので「こたえのない学校」となりました。まぁ、「こたえがひとつでない学校」というのも変ですしね。

ー「こたえのない状態」は不安があったり、不安定ではないですか?

藤原:そりゃ不安定です(笑)。今はとにかく動きが激しい時代で、数年先を見通すのも難しい。でも、こたえが決まっている(ように感じる動きのない)時代も窮屈といえば窮屈かもしれないし、こういう時代に生まれたからには、その中で楽しむしかないですよね。不安に思うのは私にもあります。でも不安もあるけれど、わからないのだったらわからないなりに、わからないことを楽しんだ方が得なのではと思っています。

私自身はだんだんに分からないことを楽しめるようになってきていて、多分それは仕事の中で事業企画や新規事業開発をいっぱいやるようになったからだと思います。先が見えなくてどきどきしたり、うまくいったり、いかなかったりすることもありますが、そういうのが楽しい。
辛いこともあるけど楽しいこともあるし、何よりすごく自分が「不安」によって成長する気がしたので、不安に関してはどちらかというとポジティブな印象を持っています。

団体を立ち上げるときも、深いのか浅いのかわからない川を飛び越えるという怖さはありました。でも飛んでみようかとちょっと思えるか思えないかで、結局はすごく違ってきます。飛んでみたら飛べることもあるし、だんだん慣れていってだんだん怖さに鈍感になって、何かあっても死なないかもと思える(笑)

よりよい社会に

ー今やっていることを続けていきたいという原動力みたいなものは?

藤原:原動力は大雑把なんですけど「よりよい社会になってほしい」というのが強いです。

私は大学は文学部に入学しましたが、途中で政治学部に転部しました。1年生の時に考古学の教授とパキスタンに行ったのですが、難民キャンプで、イスラム教の良さに触れたり、逆に貧富の差の激しさに驚いたりして、もう少しよい社会になるために自分ができることはなんだろうと思ったとき、単純すぎる発想かもしれませんが、そのまま政治を学んでみようと思いました。

大学では、公共選択という、民間と公共がどのように共存すればよいかということを学び、結果的に大学院でも政策を学びました。
その後民間で働いた期間も長いですが、実は、民間の経験を生かして、いずれはソーシャルセクターに戻りたいという気持ちがあったんです。原動力的はそこかもしれませんね。

だから教育といっても、どうしたら、生まれた家庭環境などに左右されずにそれぞれの子がその子らしい能力を最大発揮できるような社会を生み出されるか、ということに興味があります。

ー「よい社会」と「探究」は繋がっている感じですか?

藤原:繋がっていると思います。よい社会になるためのアプローチはいくつもあると思うんですけど、みんなが探究的な学びをしたり、探究的な生活をしたり、いろいろなことにワクワクして、プロダクティブで先につながるような探究をしていくことによって、また一人ひとりがちょっとずつ動くことによって、社会がちょっとずつ変わっていくはずだという気持ちがあります。

国任せではなく、先生も親も子どもも、一人ひとりが考えて、それぞれ何らかの小さな貢献をしていって、総力戦みたいにやっていくことで、よい社会になる糸口が出てくるのではないかと思います。

学びのスタイル

藤原:月並みな言い方かもしれませんが、自分の好きなことでないと探究しきれないと思うんです。

あまり興味のないことや人から言われたことはやっぱり探究しきれない。仕事をする中で、好奇心と探究心が能力差を超える場面をいくつも見てきました。本当に自分の人生を生ききりたいと思うのであれば、自分の得意なことや好きなことをあきらめずに探し続けることから逃げないほうがいいのではないでしょうか。

ただそれを見つけるのは、そんなに簡単なことでもありません。多くの人にとって「自分に向いてるよ」サインはとっても小さいので。
また、いろいろな経験をしないと自分のこともわからないから、感性を開きつつ、特に若いころはえり好みをしすぎず、自分がのめり込めて深掘りできるエリアを見つけたり、自分が苦にならないことを見つけていくことが、自分らしさにつながっていくと思います。それも自己探究ですね。

また、「学び方」にも個性があります。探究と一言で言っても、それぞれに違いがあり、たとえばIB(国際バカロレア)とイエナプランも似ているところもあれば、アプローチが違うところもあります。その中で、自分がどういう手法のどの点に惹かれたり、ピンとくるかというのは、自分自身に聞いてみないとわかりません。

私自身は「概念をベースとした探究」に出会ったとき、自分自身がビビッときましたが、それはその方法が、私の思考(先に話した「モヤモヤ」「!」「?」)と一緒だ、自分が大事にしているものと一緒だ、と思ったからなのです。結局学びのスタイルも「自分を知り」「自分らしい学び方」を体得することが一番大事だと思います。

なんとなく、「正しい先生像」「正しい探究」があるような幻想があるように思ってしまうのですが、それよりも「自分らしい探究」のほうがいいのでは?子どもたちに多様であって欲しいというのであれば、先生も多様でいいんだと思います。

いろいろな考え方の先生がいて、小中高まで12年間あるとすると、毎年変わったとして、12人の先生が同じ型のものをやったらその子の学びにならないわけで、たまに探究学習なんてダメだと言う人が来ても構わないし、いろいろなスタイルの学び方があってそれを実践する先生がいるというくらいの方が健康な感じがします。
だから私たちのプログラムでは、「この手法を教えます」みたいな感じには永遠にならないと思います。これもあって、これもあるけど、それ選ぶのは自分だからねというスタンスです。

でも大人の私たちの多くは、自分も含め、自分の感性に素直な学び方をしてきていないのでそこがネックなことも多いですよね。そこで先生にも探究的な学びに興味があるのであれば、「一度学び手になってみたら?」ということを私たちの大人向けのプログラムでは提案しています。探究する学びの経験をまずしてみて、それが意味のある学びだと思ったらやってみる、そうすると納得して、子どもに向かえるのではないでしょうか。

実は、先日、家族でスキーに行ったときに、うちの子に思いっきり滑り方を「教えた」んです。
「なんで曲がれないか考えてごらん?」みたいに言えなくて、「ここでこうやって荷重して!ここで前に手を出したらバランスがとれるよ!」と指示してしまう。ただの「教える」コーチがそこにいました(笑)。それは結局、私自身がそういう風にスキーを学んで、教えられてきた。そして上手になって後輩を教えていたってことなんです。
「あ!」と途中で気づいて・・。「教え手の自己変容」なんて偉そうなことを言っても、自分の経験していない学びを伝えることは本当に難しいということを自らが実感しました。そういうことからも、自分が学び手となって、違う学び方で学んでみるということに価値があるなと思っています。こうして変化の大きな時代、本当に一生学び続ける時代がきているな、とそんなことからも感じるんです。

(インタビュー:寺中有希 2018.2.21)

 

プロフィール:

藤原 さと(ふじわら さと)
一般社団法人こたえのない学校代表理事

民間企業にて海外アライアンス、海外事業立ち上げなどを経験し、仕事をしながら子育てをする中で、「探究する学び」に出会い2014年に一般社団法人こたえのない学校を設立。「良質な探究学習の一般普及」をスローガンに、公立小学校での実施も含めた小学生向けの探究型キャリアプログラム等を実施するほか、学校教育に携わる教師と学校外で教育に携わる多様な大人が出会い、数か月を通してチームで探究プロジェクトを実施する「Learning Creator’s Lab」を主宰。2014年から2017年は米国の教育現場において、実際に公教育の現場に関わるほか、インタビュー・リサーチを行う。

こたえのない学校

LCL(Learning Creator’s Lab)

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