インタビューvol. 7 川辺洋平さん「対話から生まれる世界」

哲学対話の活動を推進している特定非営利活動法人アーダコーダの川辺洋平さん。インタビューをしているこちらがお話を聞かせてもらうつもりが、いつの間にか攻守逆転して、インタビュアーが話をしている、聞いてもらっている状態に・・。
一方的に話す、聞くより、対話しちゃったほうが面白いでしょうと言わんばかりに、こちらの質問に対して、「あなたはどうですか?」と問いかけてくれます。「今、問われていること」を「今100%で考える」、「今、目の前にいる人としっかりと向き合う」。そんな洋平さんと海を見ながら、インタビューのような、対話のような時間を過ごしました。

人と関わること

ー今日お話を聞きたかったのはこども哲学をしている川辺さんが、なぜ「話す」「話し合う」ということを大事にしたり、広めたいと思ってるのかなというのが一番の興味で・・。

川辺:話をしたり聞いたりすることの大切さを僕が活動の中で伝えている理由として、こういうことがあるんじゃないかとって、もしイメージしている例があればちょっと聞いてもいいですか?

ー一番思っているのは、多様であることを大切にしているから、話し合いや対話に気持ちが向いているのかなということです。

川辺:なるほど、それすごくいいヒントになりました。なんで自分が話したり人の話聞いたりすることが大事だと思っているのか、今ヒントをもらうまで思いつかなくて、こういう背景があるのではと言われて思ったことは、僕は高校生のときに世界平和に興味があって、どうしたら戦争やテロがない状態になるのかなということを考えていたんです。2001年9月11日のテロの後に、テレビ番組で中東の大学生が「世界はグラデーションでできているから、近くの国同士は少し違うけどまだ分かり合える。でもすごく遠くの国が”俺が正しい”と思いながら話そうとすると色がかなり違うんじゃないか。そこはわかりあえないとは言わないけど、まず隣りの国から仲良くしていくことが世界平和の第一歩なんじゃないかな」と言っていたんです。近くの人と話すというのはすごく大事だなと思ったし、一方で、自分とあまりにも違う人とはある意味、距離を置くというのもひとつの平和のあり方なのかなと思ったんです。でも、もし「意見が違う人と距離を置くこと」も平和でいることのひとつの方法なら、いつか「誰も、誰かと話さなくなるという平和」もあるのではないかなと思ったんです。価値観が多様化して、いろいろな生き方を認めなくてはならなくなると、やっぱり無関心も並行して広がるのではないかと。「分からないから関わらない」のはやめた方がいいと思っています。

ー分かりたいから関わるという感じなんですか?

うーん、分かりたいから関わると言うよりは、関わらないと分からなくなるという感じかもしれません。関わってみても結局わかり合えないかもしれないけど、関わったことがあるだけで、攻撃しようとまでは思わなくなるのではと思います。違う価値観の人を全然わからない未知の生物と見てしまうのではなく、違うけれど悪い奴じゃないと思えば、関わらないけれど、怖くもない。「知っているけれど関わらない」という多様性が認められた社会と、「知らないし関わりたくもない」という多様性のある社会は違います。違うけれども話を聞いてみようという社会を作らないと、平和のためにぶつからないためにしていたはずの無関心や不干渉が結果としてまた争いを生むというマイナスの循環になっていくのはあるかもしれません。

選択肢がある

ー哲学対話だとみんなの意見を聞くが故に、いろいろな意見が出たまま終わるということが結構ありますが、そこはそれでいいという感じですか?

川辺:そうですね。「カレーかうどんか」というAかBかという選択肢の中で対話をした後、「いや私そんなに簡単じゃないわよ」という風に思って帰ってもらったらいいと思います。「うどんかなと思ったけど、私はそもそもうどんでもカレーでもなくてラーメンだったわ!」という人がいてもいいんじゃないかなと思っています(笑)。「カレーかうどんを選んでください」という社会なのに、本当はラーメンが食べたかった私に気づく。だから私はCだし、「俺ハヤシライスだった」というDも生まれて、じゃあ、AやBだと思っていたけど、CやDの人もいたってことがわかりましたね、みたいに・・。またCやDの人は、「私はAじゃないな」と思える幸せもあるんです。

ー結論がないのは不安だな、はっきりしたいなぁとか、いや本当の答えがどこかにあるのではという思いはありませんか?

川辺:不安定さはすごいあると思います。むしろ不安定に持っていこうとしている感じです。哲学対話をすることで、不安定になると、もう一回選べるんですよ。例えばいいなと思っている男性がいるとする。その人のことが好きか分からなくなることによって、もう一回その人のことが好きか、他の人が好きか、そもそも好きな人がいないとか、もう一回選ぶようになりますよね。そういう意味で、不安定でいることはある意味、選択肢をいつでも手元に持っておける時間を確保することになるので、定めすぎないようにしています。

ー哲学対話の場も不安定だといいですか?

川辺:不安定になれたら対話ができた感じがします。例えば、「ゴミ箱に捨ててあるものは汚い」と思って哲学対話を臨んだとします。子どもたちと話していて、今食べてる飴をゴミ箱に入れようとしたときに、「飴がゴミ箱に1秒ついたらギリギリ汚くないかな?」「5分経ったららどうかな」「ゴミ箱に入ってるものは汚いって思ってたけど、そうとも言い切れない」「なんで汚いと思うのだろう」と意見が出て訳がわからなくなってきます。そして「3秒と1秒はどう違うの?」となったときに、「はい終了〜」くらいの感じが気持ちいい。「なんだこれ〜?!」と(笑)。でもその後、ゴミ箱に物を捨てるときの、捨ててあるものを触ることに対する感覚が全然変わるんですよ。

ー訳の分からなさみたいなものが面白い・・。

川辺:そうかもしれないです。分からなくなると価値観を選び直せる。それが好きなのかもしれない。本来、社会が全体的に変化し続けているのだとしたら、ある時代の価値観で自分を止めているのはおかしい。不安定さを抱えるってわりとしんどいですか?

ー私は変化に弱くて・・。だから次に聞こうと思っていた質問が、「そういう不安定なことが嫌な子はいませんか」です(笑)。いろいろな不安定な要素が増えたときや、いろいろな意見が増えたときに、どこに収束するんだろうとかいう不安や、これが何になるんだろうという不安があるなと思ったので、「そういう子はいませんか」と人のせいにして聞いてみようかなと思ったんですけど・・(笑)

川辺:そういう子なんだ(笑)?

不安定さから生まれるもの

川辺:哲学対話の不安定さというのは不安とは違うと思うんです。さっきの例だと、「うどんかカレーか?」という話が、「うどんvsカレーvsラーメン」という話に進展しても、うどんが好きな人はやっぱり自分はうどんだと思えばいいし、ただ他の考え方もあったし、そうだとすると3つどころの騒ぎじゃないぞという可能性に気づいてもいいし、不安にまではならなくてもいい気がします。もうひとつ例にあげた「ゴミ箱に捨てられたものは汚い。どこまでだったら綺麗か?」みたいな話になったとき、「でも俺はやっぱり3秒以上は無理だな」というようにそこは選んでいいんです。「でも3秒というのも考えてみるとおかしいな」「なんで3なんだろう?」と思える。「そもそも何秒でも何分でも洗えばいいんじゃない?!」と考え始めたりもする。不安になるどころかむしろ「私はこういう風な納得感で生きていくぞ」となるものなんじゃないかな。哲学対話に参加することで自分の意見を、少し見直すチャンスになります。

ーお話を聞いていて、「自分はカレーが好きなだけじゃなくて、他の人にもカレーを好きになって欲しいんだなぁ」と気づいて帰る人も幸せですね。みんなが絶対カレーになることは無いですもんね。「あーでもやっぱりみんなにカレーの良さを知ってもらいたいな、カレー派になって欲しいな」と思ってもいい。思って欲しいなと思っている自分に気づくというのは素敵ですね。

川辺:そういう意味でもたくさんの人に出会っていくと、「今キミが、言っているカレーは、西洋カレー?それともインドカレー?もしかしてタイ?」なんてきかれたときに、「え?!えっ?!」となって、さらに「俺はちなみにドライカレーが好きなんだけど」と言われて混乱する(笑)。それは出会いの恩恵ですよね。

ーいいですね、そういう混乱がたくさん起きたら。

川辺:それによっては私はカレー全般を伝えていきたいのか、タイカレーのおいしさを伝えてたいのかという、納得感がむしろ強まっていきます。揺さぶられた方が余計なものが振りを落とされる。「ドライカレーはほんとダメ」とか、「あれはカレーとして認めてません」とか(笑)。そう思えるようになるのはやっぱり近いけれど違う人とか、知らなかったことを気づかせてくれる他者の存在だと思うので、そういう意味でも不安になるというのは、全部捨ててみるというよりは、「揺らされるぐらいの不安さ」かなという気がします。

ー哲学対話では揺らされる感じの時間がいっぱあるのですか?

川辺:そうだと思います。私たち一人ひとりは答えを持っていてよくて、そのこたえがひとつではない、まだ変えられる、そういう話を今日はしているのかなと言う気がしました。人は人と会って、揺らされて、選択をしていくのではないかなという気がするんですけどね、どうなんですかね。

ー川辺さん自身もそういう実感はありますか?

川辺:あります。人と話すことで、これかなと思っていた一本槍が簡単にぽきっと折れる。でも折れたところから次の新芽が出てきて花開くこともあります。そんなに自分の一本槍を信用しないからこそ、揺れることのメリットを享受できるのかなという気がします。

ーこれに関してはこれ、とあまり強く思わないのですか?

川辺:強く思ってます。最初は。だけど人と話したときにぽきっと折れるスピードが速くなったと思います。「あー!そうかも!」と。

ーそれは哲学対話の影響が強いですか?

川辺:意見は変えてもいいということを哲学対話では大切にするので、影響があると思います。変わることの速さはバージョンアップの速さとイコールな気がします。

幸せな時間

ーこれからしたいことは?

川辺:こども哲学をしたいという人がこれからも増えていくと思うし、増えていってくれたらいいなと思います。”子どもに哲学させる”のではなく、”子どもと哲学する”ことがぼくの天職だなと思います。大人の哲学対話より僕はダントツに子どもと哲学対話するのが好きです。「こども哲学」という名前の活動が世界にあって本当に良かったなぁと思います。

これからしたいこと、といっても今やってることがこれからもやりたいことだから、あとはそれを少しずつその時の気分に合わせてアレンジしていくだけという感じだと思います。例えば乳首が透けない白いTシャツがあったら面白いのになぁと思って、工場に通ったり、試作品作ったりして、「正装白T」というのを友達と作ったりもしています。好きなこと、楽しいと思うことを続けていくだけです。

(インタビュー:寺中有希 2018.3.12)

 

プロフィール

川辺 洋平(かわべ ようへい)

1983年生まれ。東京学芸大学教育学部卒業後、サラリーマンを経て、2014年に特定非営利活動法人こども哲学・おとな哲学アーダコーダを設立。神奈川県逗子にて未就学児から小学生を対象にした「こども哲学教室」を主宰している他、全国各地で開かれる映画「こども哲学~アーダコーダのじかん~」自主上映会にて親子から大人同士までを対象にした哲学対話を実践している。横浜国立大学大学院教育学研究科在学中。

特定非営利活動法人こども哲学・おとな哲学アーダコーダ
映画「こども哲学~アーダコーダのじかん~」

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