フリーランスティーチャーという生き方 

writer: 田中 光夫

14年間の公立小学校教員を2年前に退職し、病気休業の先生の代わりに学級担任をする「フリーランスティーチャー」という仕事をしています。

フリーランスティーチャーとは

近年、さまざまな理由を背景に、精神的に追い込まれ担任ができなくなる、病気休業に入る教師が増加しています。それに伴い「担任不在の学級」がどんどん増えています。
学校から教員が一人欠けると、その穴を埋めるため他の教員の負担が増加します。具体的には、「自分の学級以外の授業・学級運営を行う」「病休教員の担当していた校務を担う」という仕事の増加です。その結果、学校内全体の教師の負担は増加し、それぞれの仕事も停滞します。欠けた病休先生の代わりに講師として担任となり、学級経営や校務を引き受け、学校全体の教員負担を減らすのが「フリーランスティーチャー」という仕事です。

以前、吉田豪さんが「プロインタビュアー」という職業を作ったことを知りました。私も今の時代に必要とされる「新しい仕事」を始めようと考え、「学級経営をするのが難しい学級の増加」「代替教員としての講師不足」という教育界の問題に挑戦すべく、さまざまな学校を渡り歩くフリーランスの教師の仕事を「フリーランスティーチャー」と名づけ、2016年の春から活動を開始しました。この4月からも、病休の先生が戻ってくるまでの一か月間限定ですが、都内の小学校で代替講師として担任をしています。

フリーランスティーチャーになったきっかけは?

教員になって10年目、3校目での経験がきっかけです。
当時、私は3年生の担任をしていました。一緒に仕事をする機会の多かった4年生の担任の先生が、学級経営がうまくいかないことに悩み、鬱と診断され病気休業に入りました。
病休に入られた担任の代わりに講師の先生を探すもなかなか見つからず、4か月間にわたり他の学級担任が代わるがわる授業を担当しました。
東京都は音楽や図工を専科教諭が指導するため、その時間、担任は自分の仕事ができるシステムになっています。しかし、その空き時間を担任不在の教室での授業に割り振られるため、空き時間が無くなり、次第に学校全体が「忙しい」「余裕がない」という雰囲気になっていきました。

子どもたちも同様です。中学・高校なら、教科ごとに決まった教師が指導に当たるため連続性が保たれます。しかし、小学校は一人の担任がほぼすべての授業を担当するため、病休教諭の代わりに入る教師が毎時間変わると、同じ国語でも「昨日は〇〇先生、今日は〇〇先生」と毎回変わり、教科書を進める際も「昨日はどこまでやったかな?」から始まることが多く、子どもたちも混乱しがちでした。先生同士で授業内容を引き継ぐ時間の確保も難しいわけです。だって自分のクラスの指導もあるわけですから。

そんな中、ようやく全教員待望の講師が決まりました。
しかし、数週間後、「私にはこの学級の担任は務まりません」と突然学校に来なくなってしまい、そのまま離職してしまいました。
病休の背景には「授業不成立」「学級崩壊」が多く、特別支援の必要な子の対応もあります。そのような学級に講師として入るのは容易なことではないのです。
講師登録者の多くは「教員免許を持っているが採用試験に受からない学生」や「一度教員になるも合わず退職、他の仕事をしていたがやはり教育に携わりたいという出戻りの方」、「子どもが生まれ、産休育休を続けるうちに退職したお母さん先生」などなど、「わけありの先生」がほとんど。なので、困難学級を維持するのだけでも非常に難しいのが現状です。
そのような状況を目の当たりにし、東京都の講師登録者数の状況を管理職に尋ねたところ、年々減少していることが分かりました。

そのような背景を知るにつれ「私にできることはないか」と考えるようになりました。
公立学校の教員には異動があります。しかし、自分から望んで困難校や困難学級に赴任したくても学校や学級を選ぶことはできません。丁度異動を控えていた私は、このタイミングだと考え退職、困難学級を背景とした病休教員の代わりに担任を行う教師「フリーランスティーチャー」になりました。

フリーランスティーチャーをやってみて分かったことは?

私は東京都の教員だったため、退職後すぐに東京都の講師登録名簿に登録するよう言われました。しかし、より困っている学校・学級を助けたいという思いからSNSを使って講師先を募集することにしました。すると5月上旬、さっそく知り合いから講師依頼が入りました。その後も立て続けに依頼が入り、初年度1年間で4つの学校の教室で担任をしました。
働き始めて分かったのは、より深刻な講師不足の広がりです。
年間で20件以上の講師依頼がありました。既に講師先が決まっていてもどんどん依頼がきます。「今の学校が終わってからでかまいません!」「いつからなら勤務できますか?」など、一度断った学校から再び講師の依頼がくることもありました。
喉から手が出るほど講師が欲しい学校側としては、どんな条件を飲んででも講師確保がしたいのです。選んでいる場合ではないところまで切迫しているのが伝わってきました。

フリーランスティーチャーの課題とは?

2年間フリーランサーとして教師をする中で、いくつかの課題が見えてきました。
一つ目は「働く場の探し方」です。
自分の住む自治体(都道府県、政令指定都市なら市や区)に講師登録すれば、学校から直接講師依頼の電話が入ってきます。知り合いがいる方が働きやすければFacebookなどで告知するとよいでしょう。
講師の足りない今、講師業は「売り手市場」なので、条件に合った職場を選択することができます。例えば、フルタイムで働く産休・育休代替講師は、校務分掌やクラブ・委員会も担当することになります。時間講師や教科講師(算数、家庭科など)の場合、校務分掌やクラブ・委員会は担当しない場合が多いですね。通勤時間・方法、担当する学年や月にどの位の収入が得られそうかなどを事前に聞き、検討材料にすることも大切です。
講師不足の今、「自分の働きたい場所で働く」ことが比較的可能です。
二つ目は「収入」です。
講師は「教員経験年数」が給与に加算されます。私の場合、1コマの授業につき約2,500円の講師料でした。1日4時間ですから、単純に計算して日当1万円です。講師は「公立教員組合費」や「国民健康保険」のような社会保障費や国民年金を給与から引かれません。自分で別途国に治めることになるので、20日間勤務日があれば、午前中だけ働いて手取りで約20万円になります。
また、時間講師・教科講師には「賞与」(ボーナス)が出ません。産休・育休代替講師には賞与が出ます。今、総務省が「同一労働・同一賃金化」に向けて動いており、「まずは公務員から」と改革が進められています。そうなれば時間講師等にも賞与が出るようになります。期待したいです。
公務員教師の時には、「年末調整」というのを事務の方が行ってくれていましたが、フリーランサーは自分で「確定申告」を行わなくてはなりません。実際に2回やりましたが、慣れればそれほど大変ではありませんでしたし、結構な額の税金が返還されました。
講師は副業も自由です。午前中は学校で、午後からは興味のある仕事を兼業していました。「教員は社会常識に疎い」など言われることもありますが、学校以外の仕事も積極的に引き受けることで、学校以外の職場で働く人たちとのつながりも増え、今までの人生では経験できなかったことがたくさん得られました。さまざまな「働き方」に興味のあった私にとって、フリーランスティーチャーという仕事はあっていました。フリーランスティーチャーを目指す方がいらっしゃったら個人的に相談に乗りますよ。

フリーランスティーチャーの今後とは?

私は、「今後、フリーランスティーチャーという仕事がなくなればよい」と考えています。病気休業に入る先生がいなくなればこの仕事が必要なくなるからです。しかし、実際はどんどん需要が増えるでしょう。
病気休業に入る先生を減らすため、忙しさの原因を見つめなおす「アクティブ・ワーキングセミナー」を全国で開催してきました。
セミナーでは、学校の「当たり前」を見直し、仕事の断捨離をする。そしてプライオリティ(優先順位)の再設定を行い、子どもたちとの関わりの時間を増やしつつも退勤時刻を早め、自身の私生活を充実させる方法の模索を、参加者同士の交流を通し行ってきました。
この12月、文部科学大臣の名義で「学校における働き方改革に関する緊急対策」が出されたのをご存知でしょうか。インターネットで検索すると誰でも読むことができますが、意外と内容を知らないという先生が多く、具体的にどのような働き方改革が施策されているのか、参加者と読み合わせもおこないました。
参加された先生が学校に戻り、「文部科学大臣が具体的な方針を打ち出しています。私たちもやりましょう!」と立ち上がり、この春から具体的に学校の働き方改革に動き出したという報告も受けています。フリーランスティーチャーになりたいと言ってくれる先生も出始め、この春から公務員としての教員を早期退職してフリーランスティーチャーになった先生もいます。今後もしっかりサポートしていきます。

フリーランスティーチャー世界へ行く

2018年度、新しいことにチャレンジします。
学生の頃から「子どもがいればどこでも教師ができる!」と思ってきました。昨年末、友人から「海外で現地の子に数学を教えている人が日本に帰ってきてるんだけど会ってみる?」と言われすぐに会いに行くことになり、なんとこの5月の末から私もマーシャル諸島共和国で先生をすることになりました。建国以来、教科に「図工」がない国なのですが、そこで図工を教えてみないかと。
フリーランスティーチャーになっていなければこんなチャンスは巡ってこなかったはずです。まずは、観光ビザで滞在できる3か月間、試行錯誤の日々になりますが、現地の子どもたちと図工を楽しんできます。
また、マーシャルの仲間と私立小学校を建てる話も進めています。今後も進展について報告していきたいです。どうぞお楽しみに。

最後に

フリーランサーの教師になって、「もっと自分のやりたいこと・できることを生かして、周りの人(傍 はた)を楽にする『はたらく』という生き方をしたい!」と強く思うようになりました。
教師という仕事にもっと幅があってもよい、という提案を今後も発信し続けていきたいです。

writer: 田中 光夫 Mitsuo Tanaka

昭和53年生まれ 札幌市出身
東京都公立小学校教員として14年間勤務後退職、フリーランサーの教員になって3年目。公立私立合わせて6校で病気休業教員に代わり学級担任を行う。全国で、教員の働き方改革を進める「アクティブ・ワーキングセミナー」を開催。イラストレーターとしても活動している。講師・イラストの依頼はFacebookからどうぞ。趣味はDIY、料理、釣りなど
著書 「豊かな感情が育つ!論理的思考力が身につく!音読指導のアイデアとコツ」(ナツメ社)
みんなで成功させる!学芸会づくりの指導のコツ」(ナツメ社)他