インタビューvol. 10 副島賢和さん「安心・安全を子どもたちに」

 

病院の中にある院内学級(さいかち学級)の先生でもあり、赤鼻をつけたホスピタル・クラウンでもある副島さん。院内学級の前は普通学級でPAを学級に使ってくれていたそうです。病気や怪我をしていても、入院中にも学ぶことを大切にしている院内学級にはさまざまな子どもたちがやって来ます。入院中も学級(学校)に来て学ぶ意味はどんなところにあるのか、院内学級やホスピタル・クラウン(クラウン(道化師)として病院に入院している患者さんに楽しんでもらう活動)を通した副島さん自身の変化について伺いました。

 

種まきの場としての院内学級

副島:教員になって6年目に入院をして、そこから入退院を3回繰り返しました。3回目の入院のあと、大学院で不登校のきっかけに関する調査資料を見たんです。中学校を卒業して5年くらい経った子に、「5年前、あなたは学校に行っていなかったけれど、あれは何がきっかけですか?」を尋ねる全国調査です。

1〜3位は友達、学業、教師との関係です。病気がきっかけと答えてくれた子たちも15%近くいました。20万人の15%とはかなりの数です。病気がきっかけで学校に行けなくなった子どもたちがこんなにたくさんいるのに、そこを助ける先生があまりいないのであれば僕が出来ることがあるかもと思ったのがこの道に行こうと思った大きなきっかけですね。

ー院内学級に通級する期間が1日や2〜3日しかない場合もある中で、院内学級に通うことにはどんな意味がありますか?

副島:ここは子どもを「子どもに戻す」ことをやっている場所です。入院や病気は子どもたちからいろいろなものを奪います。
それはたとえ1日の入院であったとしても、安全感や自主性、仲間や保護者との関係も、自由や時間も奪います。何よりもあの子たちの中の自尊感情が下がっていきます。それが病気や入院治療が子どもたちにもたらす痛みや苦しみだと思うんですね。子どもたちはものすごい不安を抱えて生きています。

今までできたことができなくなる怖さもあります。病気をしたことで今までできていたことをもう一回やり直さなくてはゃいけないとなると、すごくネガティブな感情がわき上がってきます。それを「病気したけどさ、楽しいこともできたよ」とか「ずっと治療し続けていかないけど、それってだめなことじゃないんだよね」と思ってもらいたいです。

このさいかち学級での生活を通して「できないときは助けてと言っていいんだよね」という気持ちを持って帰ってもらいたいです。あの子たちが病気を抱えて生きていったり、治療に向かったり、また学校に戻ったときにエネルギーを発揮できたりするための種を植えるのがここの役目だと思っています。ここで花が咲くことはほぼないので、それができたらいいですね。

安心して自分自身でいられる場

副島:私はここ(さいかち学級)を子どもたちにとって安全で安心な場所にしたいと思っています。本当の学びは、五感を全部研ぎ澄まさなくてはできない作業だと思うんです。

理科の実験をしていても、先生の話を聞いていても、音楽や本を読んでいても、そこに自分の感覚、五感を鋭く発揮できるから、いろいろなものを感じたり、考えたりして成長できます。でも安全ではなく安心できない場所で自分の五感を鋭くするのはものすごく大変なことだと思うんです。

満員電車で五感を鋭くしていたら臭いや音、体が触れたりして乗れないですよ。でも最近の学校の教室はそれに近いものがあるような気がして、子どもが本当に自分の五感をフルに発動させて学んでいくということができない場所になっていると思います。

だから子どもたちがここに来たときは「安全で安心だよ」ということをまず伝えて、いろんなことを感じてもいい場にしています。そうすると、ぽろっと辛いことを吐露してくれたり、何かをできたときの喜びが出てきます。それが「子どもに戻すこと」だと思っています。本来の「子ども」という姿を保証したいです。

ー学校ではどうしてできないのでしょう・・。

副島:ここに来た子どもたちが大体最初にやることがあります。それは先にいた子たちを傷つけることです。暴力や暴言を吐いたりするわけではなく、ちょこっと傷つけます。他の子の勉強を覗き込んで「あー俺その勉強、学校で終わってるよー」とか、折り紙や工作してる子に「私それ得意〜」と言います。

誰かをちょっと傷つけることであの子たちがしていることは、この空間でのポジションを確保するんです。自分はこの子よりできる、この子よりもちょっと上というポジション。そういうときに僕は子どもに「先生ね、あなたとあの子を比べてないよ」「もし比べるとしたら今日のあなたと昨日のあなた」と言います。そうやって関わると、数時間したら優しくなっています。「私それ得意」ではなくて、「教えようか〜?」という言い方になります。

僕はそれを「鎧を脱ぐ」と言います。比べられないというのは、あの子たちにとってとても安心するんだと思います。学校は比べることが先に来ている気がします。もちろん比べることで伸びることもあります。でも安全と安心の感覚がないままに、「できないとダメだ」「そうしないとここに居場所がなくなる」と思っている子たちに「比べる」ということをバンバン渡しているのが今の学校だと思います。

比べることをやる前にもうひとつやることがあります。それを僕は「Being」だと思っています。「いること・あること」を大事にする「Be」です。「Doing(すること)」の前に「Being(あること)」だと思っているんです。

ただ子どもたちがもう一回鎧をちゃんと着る瞬間があります。それは退院が決まったときです。戻るとわかったときにもう一回、びしっと戦いモードに入りますね。鎧を着て退院していく子たちを見ると、どんな場所にこの子たちは戻るんだろうと心配になります。でもお腹の中にはちょっとあったかいものが種が植えられていたらいいなと思います。子どもたちにとって学ぶことは生きることだと思っているので、子どもの学びを保障するために何ができるかなということをいつも考えています。

ホスピタル・クラウンという仕事

副島:クラウンをやるのは、出会いのきっかけなんです。ポジティブでもネガティブでもいいので心が動けば、そこに僕たちが入り込む余地が生まれます。もし子どもにストンとシャッターを下ろされたときには、ふっと離れたり、交代してもらうしかないと思っています。だけど「えーっやめてよ気持ち悪い〜」と言われたりしても「へへっ、ごめんごめん」と入り込むチャンスがあります。

大事なのはその子がちゃんと心を動かしている場を作ることです。普通、心を動かす場合はポジティブなことが語られますが、嫌われても大丈夫ですよ、嫌われたということは心が動いたということですからチャンスがあります。出会ったときに置いていくのは「私はあなたを傷つけないよ」というメッセージです。あなたが離れて欲しいと思ったら離れるし、必要だと思ったら近づいていくよというメッセージを伝えて離れていくと本当に困ったときには呼んでくれるんです。

そこを大切にするためにどちら側からどの高さで近づけばいいのかとか考えています。病棟やこの教室にはドアが1個しかないので逃げられないんです。ベッドにいる子たちはもっと逃げられません。逃げられない相手にどう近づくかということは普通の教室でも同じなんです。先生は席について逃げられない子に近づいていくのに、そんなこと何も考えてない先生たちが多いです。その子に合わせた距離を見つけていくことが大切なんです。

ークラウンを続けていて感じていることはありますか?

副島:あの・・クラウンというのは結構しんどくて・・。突きつけられるんです。僕は一番最初、クラウンというのは赤鼻をつけたら別の自分になれる、他の人格を演じることができるんだと思っていました。トレーニングを受けてやればやるほど、自分の中にないものは出てこないんです。

例えば自分は人見知りなのに赤鼻をつけることで「こんにちは〜♪」と陽気にできるかと思ったらできないんです。本当に目の前にしんどい子がいたり、自分がギリギリの場面になったときに演技なんかできないですよ。

変な例ですけど自分のキャラクターを「いっぱいスキップする楽しげなクラウン」とするとします。そう設定してスキップをしていたとしても、普段スキップをしない人間だと、本当にしんどい場面やギリギリの緊張の場面にスキップなんてできないんですよ。

だから自分の中にあるものを膨らましていくしかない。変えたいのなら自分の中にその要素というかキャラクターをしっかりと入れていくしかないんです。クラウンをやるたびに自分のことを深く深く見つめていく作業なので、僕にとってはやるたびに苦しいです。ただ喜んでくれたり、また来てねと言ってくれたりするのでやりがいはありますね。

ー副島さんはどんなクラウンですか?

副島:僕は自然に横に座っているだけです。自然にそこにいて、ゆったりいます。だからキャラクターは緑なんです。ふわ〜っといるようにお尻には青空に雲のアップリケで、中はエネルギーがたまるオレンジ色を着ています。

クラウンネームは、「への」です。「へのへのそえじ」の「への」です。「クラウンへの」というのが僕の名前です。「への」はふわっとしています。ゆっくり歩いて、友達と遊んで、「何してるの〜?」「お昼寝〜」みたいな話をしながら、そこにいます。クラウンというと元気で陽気なイメージも多いかもしれませんが、いろいろなクラウンがいます。それは自分で決めます。人見知りも音楽好きも、アクロバットが得意なクラウンだっています。自分の中のキャラクターをちゃんと決めていくきます。

ーそれは自分が持っているものというよりは、自分がなりたいものを掘っていく感じですか?

副島:それもプラスしていきますけど、付け焼き刃ではできない感じですね。自分の中にそれが染み付いたときに、自分のものになる感じです。染み込んだときはわからないですけど、「あ!染み込んでいたんだなー」というのはわかります。だから必要なときにそのプラスしたもので対応ができたり、ふっとそういう表情を出せたり。「気づいたらそうなっていたんだな」という感じです。頭で考えているのではなくて、体が反応出来るようになる感覚はスポーツや武道、茶道などと一緒なのかもしれません。

目で笑う

ー気づいたら今までできなかったけど染み込んでいたものはありますか?

副島:クラウンのこととはちょっと違うかもしれませんが、さいかち学級に来て、ちゃんと目で笑えるようになりました。

教師は目が笑わないんですよ。それは安全確保して、危険な状態をちゃんと察知しなければいけなかったり、子どもを評価しなければいけないので、「評価の目」なんです。ものすごい鋭い目で子どもたちを見ていると思います。それゆえに笑うときは口で笑うんですよ。でも目の奥は笑わないですね。

本当に目が笑ってる先生はあんまりいないと思います。それがここに来ると子どもと関わるときにマスクをつけるので、口元だけ笑っても、子どもにはバレるんですよ。

ー一般的な先生の目が「評価の目」だとすると、副島さんの目はどんな目なんですか?

副島:本当は厳しいんだろうと思うんですけど、やっぱり安全と安心を最初にちゃんと確保する、担保する目をしているといいなと思いますね。そんな目をしていたいですね。

この教室におもちゃや道具が何も置いていなくても、子どもが入ってきて僕の目を見たときに、「あ!ここって安全なんだl安心なんだ」「あのおじさんは安全な人、安心な人なんだ」と子どもが思える目をしていたらいいなと思います。それは今、初めて言葉にしたけど、そうだといいな・・。

相手の存在を知ること

ー講演会などを年間でたくさん受けていらっしゃいますね。

副島:僕は院内学級のことをもっと知ってもらいたいと思っています。病気と一生懸命戦っている、それを抱えて生きている子どもたちやご家族、きょうだいの頑張りをやっぱり知っていてほしいし、そういう人たちとも一緒に生きていきたいと思って欲しいです。

講演会に呼ばれて話をすると学校の先生が「病気でもこんなに頑張ってる子がいるだから、お前ら幸せだ、頑張れよ」と言うんですよ。そんなことの話をしに来ていないんです。自分だって今日は5割の力しか発揮できないこともあるだろうし、全然ダメだなと思う自分と出会うときもあります。でもみんなで一緒に生きていくような世の中を作りたいです。そんな、そんな国にしたい。そんな世の中、社会にしたいなぁ・・。

子どもたちに伝えるときは「失敗することあるよね。できないことあったら助けてと言っていいよ、手伝ってと言っていいよ」と言います。そして誰かが「手伝って」と言ってくれたら、全力で支えていいんだよと伝えます。でも学校の先生とか大人や頑張ってる子たちは、「助けたらあいつのためにならない」と言います。

「違うよ、そうやって助けてもらった人は次に誰か困ってる人を見たら絶対助けてくれるようになるから。それって素敵なことじゃない?」と伝えているんですけど、なかなか浸透していかないんですよね・・。でもそれはずっとやり続けていきます。

 

(インタビュー:寺中有希 2018.4.18)

プロフィール

副島 賢和(そえじま まさかず)
昭和大学大学院保健医療学研究科准教授、さいかち学級担当。北海道こどもホスピスプロジェクト応援アンバサダー。

1966年福岡県生まれ。都留文科大学卒業後、25年間東京都の公立小学校教諭として勤務。1999年、都の派遣研修で、東京学芸大学大学院にて心理学を学ぶ。2006年より品川区立清水台小学校教諭・昭和大学病院内さいかち学級担任。学校心理士スーパーバイザー。ホスピタル・クラウンの活動もしている。ドラマ『赤鼻のセンセイ』(日本テレビ/2009年)のモチーフとなる。2011年には、『プロフェッショナル仕事の流儀』(NHK総合)にも出演。

著書
「あかはなそえじ先生の ひとりじゃないよ: ぼくが院内学級の教師として学んだこと」 (教育ジャーナル選書) (学研教育みらい)
心が元気になる学校 ―院内学級の子供たちが綴った命のメッセージ 」(プレジデント社)
「学校でしかできない不登校支援と未然防止―個別支援シートを用いたサポートシステムの構築 」(共著、東京館出版社)