インタビューvol. 11 古瀬正也さん「変わっていくこと」


フリーランスのファシリテーターの古瀬正也さん。まちづくりの話し合いの場や市民講座、企業研修などさまざまな分野で対話の場づくりに関わっています。

インタビュー当日も大きなキャンプ用の折りたたみ椅子2脚を持って現れました。インタビューも「対話の場」のひとつだと改めて感じました。古瀬さんの作る「対話の場」から生まれるものとは。

対話の場との出会い

古瀬:大学が社会問題などを勉強する学部だったこともあり、大学1年生から社会活動をやっていて、原発の問題や環境活動などをいろいろやっていたんです。原発反対のデモに参加したりもしていました。でもやっているうちにデモのようなやり方ではないのではと思ったんです。

それから2年くらい経った頃、ふと立ち止まり、今までしてきたことを振り返ってみたんですけど、結局、おかしいなと思っていた社会問題のほとんどは何も解決されていない、ということに気づいたんです。みんなが良くないと思っている戦争もなくならないし、僕はいったい何をしていたんだろうかと。結局は社会のためにいいことをしている自分が好き。そんなエゴもあったのだと思います。

改めて立ち止まると、「そもそもさまざまな社会問題の根本には何か共通する原因があるのか?」という純粋な疑問が湧きました。この問いを持ち始めたときに出会ったのが「ワールド・カフェ」という話し合いの手法でした。ワールド・カフェでは席替えをしながら、いろいろな人の意見を聞きながら、混ざることもあれば、相反したことがそのまま共存することもある。やっぱり自分の意見にこだわりがあるなぁと思ったり、新しい意見が生まれたり、まさに「対話の場」だったんですね。

そこで、「社会が変わらないのは対話ができずにいるからだ!」と思ったんです。それは小さい規模でも国規模でも同様で、異なる考えを持つ人たちがその価値観をあまりすり合わせられていない。それができていないから、あらゆる問題や摩擦が起きるのではないだろうかと思い、そこからずっと対話の取り組みをしてきました。

もう知ってしまった私

ーー対話をして、古瀬さん自身が変わったことはありますか?

古瀬:変わりますね・・・、常に変わりまくっていると思います!劇的な変化ではないと思いますけど、人と関わるということはいろいろな情報交換をしたり、知らなかったことを知ってしまうわけですけど、共に1時間でも過ごしたりすると、自分の世界にはなかった情報が広がります。そう考えると、1時間後にはもう既に違う人になっているのだと思います。

「対話の不可逆性」と僕は呼んでいるんですけど、聞いてしまった、言ってしまったことはもう戻れない。そういう意味でここにいる私は「もう知ってしまった私」になっている。

例えば、どこそこにこんな問題があるとか、私の悩みはこれこれというのを聞いてしまったら、もう聞かなかった自分にはなれない。そういう意味ではもう私の中の頭の地図が変わっちゃっています。その人の悩みを知っている私が生きていくということになります。

だからもう変わりすぎていますね。その人という「一人の総体」がある。さまざまなものに触れてその「総体」の配置が変わっているので、前とは違う総体としてその人がいるんだと思っています。

ーー苦手だなという人とも同じように関わるのですか?

古瀬:苦手な人はいます。でも興味はあります。苦手だから興味がある(笑)

全く違う考えを言う人や、周りのことをコントロールしようとする人もいますが、その人なりの論理で動いているわけなんで、それが僕と考えが違うとしても、別のものとしてはオッケーなんです。むしろ、それこそ「可能性」です。違いすぎるなと思ったときほど、可能性を開いてくれる存在として寄っていきたい(笑)

それから、対話をやっていたり、対話の研究をしていると、対話の限界が来ます。対話が万能だとは思わないですね。

対話しないことの可能性にもやっぱり興味を持ってくるし、対話もワークショップもファシリテーションもある意味、技法に寄りがちなところが出てきます。でも人間関係には答えがないので、これをこうすればうまく引き出せるとか、これがいいというのは、その時々で違います。

結局その2人の関わりから生まれるんです。対話を信じていますけど、対話に泥酔はしていないというか(笑)。信頼はしていますけど、対話だけで全てがうまくといくとは思っていません。

対話って何?

ーー対話をすることで失うことはないのですか?

古瀬:対話をして失うことは先程の「不可逆性」に近いですけど、「変わってしまうこと」ですね。それは前の自分に戻れないということです。ある意味では、1時間前の自分を失っているわけです。

そういう意味では苦手な人を避けていくというのも場合によっては重要なことだと思います。関わりを持つということは取り入れる、取り入れないに関わらず、何かしらやりとりを交わしてしまうので、自分の総体が、地図が変わっていきます。

そういう意味での拒絶や抵抗というのは非常に大事です。異物が入ってきたことに対する免疫みたいなものもすごく大事だと思うんです。

ーー「対話って何?」と誰かに聞かれたらどう答えますか?

古瀬:難しいですね・・・。誰に言われるかによって多分、答えが全く変わってくるなと思います。なんか今、いい回答しようと必死の自分がいるんですけど・・・(笑)。

ただ、ぱっと出てこないというのは、おそらく、本当にその人と対面したときにしか出てこないものでしか答えたくないというのがあります。

もっともらしいことはたぶん言えるはずなんです。でもその人との流れの中で出てくる、そのときに生み出せる言語で説明したいというところがあるかもしれない。

定義的なものや、一貫してこうですということがまだ言えない状態にたぶん僕はいます。僕は、「今」にいたいんです。

ーー古瀬さんの強みとする場の入り口や場の雰囲気はどんなものですか?

古瀬:比較的ゆるい場が多いのかなと思います。なんか仲良くなっちゃう感じですかね。僕自身、ワークショップの参加者やクライアントと仲良くなりたいんですよ。そんな心持ちでいるので、やっぱり仲良くなる。仲良くしたいし、知りたいし、知ってもらいたいという感じなんです。

ーー場を作っていて一番幸せだなと思う瞬間はどんなときですか?

古瀬:僕は意外と終わった後とかですね。終わったあとに「あの場のおかげでこんなことが起こったよ」ということを教えてもらうと、生きていてよかったなと思うくらい嬉しいです。それは数年後に起こることもあります。

以前、「札幌未来カフェ」というイベントを東京と札幌で同時開催したことがありました。その中の東京の参加者の一人が何年か後に連絡をくれました。あのとき初めて自分の出身地と自分が居る場所について内省して、いろいろな人と自分の意見を交換しすることで、自分にとっての札幌は思っていた以上に大事なところだったことに気づいて、数年後、札幌に戻ったという報告をくれました。

たかが1回されど1回ですね。ほんとに自分の大事なテーマだったり、自分と向き合ったり、自分の言葉でちゃんとやりとりしたものというのはちゃんと体に残っています。そういう報告を聞くとジーンときます。

ーー対話は即効性がない場合もあるのですね。

古瀬:そうですね。即効性がない場合もありますし、変化というものを自覚していない場合もあると思うんです。

振り返ったときに初めて分かったり、出来事を関連付けることによって、その人からもらっている影響に気づいていきます。だから変化は自覚的ではないものも多いと思います。

違う考えを持つ人と

古瀬:対話では自分の価値観が揺らいだり、変わらないと面白くないですね・・・。あっ!さっきの「対話って何?」の答えですが、「自分の意見が変わっていくということ」や「自分が変わっていくということ」かもしれません。

自分の意見はAでも、Bの意見を聞いてしまったら、否が応でも「Bの意見を聞いてしまった私のAの意見」という感じになります。 真っ向から反対だとしても、Bの意見を知っているというAになるというか・・・。

そういう意味ではすでに変わっていると思うんです。それがまぁいろいろな人との関わりの中でちょっとずつ変わったりしながら、いつかガラッと変わる可能性があったり、違うものになったりするのだと思います。

ですから、対話とは変わることですね。あーなんかしっくりきました。

ーー例えば人を殺してもいいみたいな全く違う価値観の人がいる場合はどうするんですか?

古瀬:僕は最近、戦うことも大事だと思っているんです。対話はある意味戦いで、何が起こるか分からない。

急に傷つけられるかもしれないし、不意を突かれたりするかもしれない。

対話は見えない格闘技に近いと思います。でもやり合わないと、いい試合にはならないですね。

だから殺してもいいと言っている人と、殺すのは良くないという人がいるのであれば、まずは身の危険を守る術を持ちつつ、彼がまず殺さないように、自分も殺されないように何か武器を持つ必要も時にはあるかもしれません。

ーー絶対譲りたくないときもあるでしょう?

古瀬:あります。そういうときは戦います。最初の頃は対話でいろいろな意見があって、「多様性が大事」とか「みんな違ってみんないい」みたいな時期がありました。でも必要なときには「NO」と言っていかなければダメだなと思っています。

対話で社会が良くなることは信じてはいます。会話、対話、やりとりというのは一人ひとりの関わりですけど、その関わりの総体が社会であって国であると思います。

そのやりとりから何かいい流れができると全体的にもいい流れが起こってくると思います。1人の裏には何千、何万人という影響範囲があります。まずは目の前にいる人と違った考え方を持っていても一緒にいることができなければ、なんか・・・世界平和とか軽々しく言ってられないです。

オーガニックな場

古瀬:人も植物も本来持っている力で成長します。人も植物も無理に早く大きくしようとか、きれいにしようとか、まっすぐ行かせようとすると薬など使わざるを得ない。

なので、なるべくオーガニックでいたいですね。無理に急に成長させるのではなく、自然なペースで育つように育っていったらいいと思いますね。

ーーもともとその力を持っていない人はいない?

古瀬:生きてる限り、持ってない人はいないと思います。毎日〈いのち〉の働きが何かをやってくれています。

日々細胞も更新されていきますし、植物も然るべき方へ成長し伸びていきます。

ですから、何かしらの鎖でその〈いのち〉の働きや生命力、成長力を邪魔したくない。力を押し込めてしまうものや弱めてしまうものを取り除きながら、その人が勝手に伸びて行きたい方向に伸ばしてあげたい。

それが僕にとってのファシリテーションであり、僕自身のあり方なのかもしれません。


(インタビュー:寺中有希 2018.5.28)

プロフィール

古瀬 正也(ふるせ まさや)古瀬ワークショップデザイン事務所 代表
NPO法人ぱぱとままになるまえに 理事

埼玉県出身。鎌倉市稲村ガ崎在住。学生時代、対話の手法「ワールド・カフェ」に出逢い、対話(ダイアローグ)に関心を持つ。

2010年、47都道府県でワールド・カフェを開催し、延べ1200名が参加。

2011年、卒論『ワールド・カフェで起こる対話の構造』を執筆し、駒澤大学グローバル・メディア・スタディーズ学部卒業。立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科に進学。社会デザイン学を学びながら、修論『ワールド・カフェ・デザインの可能性-対話による社会構築に向けて-』を執筆。

実践と研究を往還する中で、対話の場づくりの依頼が増えたことを契機に2012年に独立。これまで中央省庁や行政、民間企業、NPO、学生など、あらゆる分野で約400回以上のワークショップを実施。近年では、南山大学のTグループやトレーナートレーニングを経て、体験学習(ラボラトリー・メソッド)を基にした研修なども行う。最近では、自主企画として「ラボラトリー・トレーニング」「ミニカウンセリング探究会」「西田哲学をみんなで学び合う会」などを開催している。現在は、全ての〈いのち〉が生き生きする方へ向かうためのアプローチを模索中。

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