インタビューvol. 12 国重浩一さん「『生きる』をきく」

 

ナラティブ・アプローチを使ったカウンセリングをニュージーランドでしている国重浩一さん。3年前に国重さんが日本滞在中に行ったワークショップに参加したご縁と、プロジェクトアドベンチャージャパンが東日本大震災以降、支援事業として行っていた「バンブーレジリエンス」で縁の深い宮城県で国重さんがスクールカウンセラーをしていたご縁があり、インタビューをお願いしました。

国重さんのワークショップを受けたきっかけはナラティブ・アプローチの「本当の真実などなく、それを語るストーリーがある」という視点に惹かれたからです。自分が真実だと思いこんでいるストーリーではなく、そうではないストーリーを見つけていくナラティブ・アプローチを使っている国重さんから見える「生きる」とは。

他者を通して自分を知る

ー3年前のワークショップのとき、国重さんが「あなたのアイデンティティは?」ときくところから始まったんですけど、アイデンティティとはときかれたことがなかったのでびっくりしました。

国重:唐突にはきかないことも多いのですが、あのときはきいてみたいというのがあったのでしょうね。アイデンティティのことはいつもは考えていないことだけど、確実にどこかにあるし、それに沿って振る舞っていたり、考えたり、自分の可能性を制限したり、見えたりする、根源的なもののような気がするんです。

なぜならば、「自分がどのような人なのか」というアイデンティティによって、自分ができること、やってもいいこと、やらなくてもいいことなどが見えてくるのです。つまり、自分のアイデンティティの変更が自分が見ている世界の見方の変容につながるということです。
逆のパターンも存在します。世界の見方が変わるとき、自分ができること、自分がしていいことも変わり、自分がどのような存在であるかの見方も変容します。

あることを今までと違う風に思えたときに、何かをやろうと思えたり、試したいと思えたりします。それに伴って行動や態度も変わるだろうし、考え方も変わってくるだろうと思うんですね。だからそういうことの根底的なものとして「自分がどういう人間なんだろうか」ということを知るのは大きいような気がするんです。

ー国重さんがどういう人かと聞かれたらどんな風に答えますか?

国重:ナラティブ・セラピーとそれを取り巻く理論に、「人は自分自身の目で自分を見られない」というのがあるんです。自分がどういう人間かを鏡に映しているように見たかったら、他人の目を借りるしかないだろうというものです。

例えば僕がどういう人間かときかれたときに、自分としては圧倒的にできていないことがあって、もっとやれたらいいなと思う自分がそこにはあるんです。それと同時に僕について人が語ってくれたり、言ってくれた言葉がものすごく僕を勇気づけてくれることがあるんです。

例えば僕の語りだと、「僕は締め切りギリギリにならないと全然できない」という表現でしか自分を表現できないままにとどまってしまうんです。

他の人からの見え方や、実際に遅れているのかというような視点がそこに含まれないと、多分、自分がどういう人間かというのはフェアな形では浮かび上がらない気がするんです。

ナラティブ・セラピーはひとつのカウンセリングなんですが、「あなたはどう思いますか」という質問と共に、「この件について他の人はどう言っているでしょうか」という他者の視点が必ず入ってきます。ダメ出しをするのも他者ですが、ここでは大切なことを言う人として登場してもらいたいんです。

意味の変化

ーナラティブ・セラピーでは、話をしていく中で相手にどのような変化が起こるのですか?

国重:相手の表現が劇的に変わるのではなくて、本人が言っていたことの意味が変わることがあります。ギリギリまで仕事ができないという事実も変わらないし、その表現も変わらないけれど、そこに付随する意味が確実に変わるんです。

締切に間に合うのか間に合わないのかというときに、「結局、間に合うんだ」ということも含みながら、「いつも締切間際になって気持ちが慌てるけれど、土壇場にならないとできないんだよね」と思う。それは同じ表現だけど、その表現は以前悩んでいた表現とは異質のものとして体験されることもあります。

ー緩やかにグラデーションで変わっていくような感じですか?

国重:そうですね。表現としてはあまりドラマチックに変わらないので、本人はそんなに大きなことを言っているようには感じないかもしれない。でも後々その意味を確認すると、結構大きな変化だったんだと気づくことがあるような気がします。劇的に「おお!」という変化を感じる人もいれば、いつの間にか苦しんでいたことを考えなくなったという状態の人もいます。

僕がナラティブの好きなところはあまり外科手術的ではないところです。「問題はなんですか」「そのために何ができますか」ときくのではなくて、それにまつわる意味が少しずつ変わったり、ちょっと見方が変わるというような視点を1個か2個持って帰れたらいい。それをもとに自分のことをまた考えると、ちょっと違ったように自分のことを考えられたりします。

きくこと

ー「きく」という仕事についてどのように感じていますか?

国重:18年間やっていますが、単純にすごく興味深いですね。相手が語ってくれた言葉の蓄積が圧倒的に僕のカウンセラーとしての自分を支えてくれているような気がします。

教科書的な勉強だけだとやりとりの定番を覚えていくことになってしまいます。でも実際のカウンセリングでは、定番のやりとりだけで対応することはできないので、会話のバリエーションが必要となります。そのバリエーションが蓄積されればされるほど、新しい話をきく力がつくのだと思います。

ー行き詰まることもあるんですか?

国重:提示される問題というのは、あるあり方で結論づけられています。だからその人ははまっていて、抜け道がないと理解しているから、もう打つ手がないと感じています。打つ手がない話をきくと、こちらも打つ手がないと感じるんです。

いつも最初のポイントで「この件はこうやったらうまくいく」とは思えず、「自分に何ができるのだろうか」と思ってしまいます。ここがスタートです。スタートはそういうものだと思うんです。

一つひとつきいていって、何かとっかかりがないか、別の見方ができる余地がないかを探していくんですけど、時によってはその余地も見つからないこともあります。

その最初のところで解決やアドバイスに行かないで、ちゃんとその人の話を聞きながら、本当に見つかるかなと思いながらとっかかりを探しています。

ーそのとっかかりがないかなと探しているときはどんな気持ちなんですか?

国重:とっかかりが見つからないときに安直に解決に行かないために、自分を自制することが必要だと思うんです。僕が信頼しているナラティブのカウンセラーのゲイル・チェル(ニュージーランド・ハミルトン市在住)も、「いいかゲイル、解決方法を探すんじゃない、しっかりと理解するんだ」と自分に言いきかせるというんです。僕もしっかり詳細をきこうとしたいと思っています。

関係性をきく

国重:「詳細をきく」というとその問題がどういうものかを細かくきくというのが通常の理解です。でもそういうきき方をするとその問題はどんどん大きくなるだけなんです。でもナラティブにおいての「詳細をきく」とは、「その問題とその人の関係性」をきいていくということなんです。この視点がナラティヴ・セラピーのすごく興味深いところです。

問題があるとして、それはどれほどその人の人生に影響与えたのかということを十分に理解していくことだと思うんです。

例えば鬱とその人の関係性をきく場合は、鬱があなたをどういう風にさせているのか、どういう影響があるのか、鬱があるためにどんな制約があるのか、鬱によってどういう振る舞いにさせられるのかをききます。もう一つは、鬱があるにも関わらず、少なくともできていることはないのかとききます。

きいていくと強大な鬱があるにも関わらず、本人がやれていることがあるんです。そこがききたいんです。「それってどうしてできているんだろう」ときくんです。

そこを探しています。そこを丁寧にもっと語っていくと、そこで本人がやっている努力や、やろうとしていること、取り組もうとしていること、これからもう少し増やしたいと思っていることなどが見えてきます。

ナラティブでは、鬱があってもできているところを少しでも広げるために何ができるだろうか、誰が協力してくれるだろうか、何をすることが助けになるだろうかというような話をしていきます。

ーできることがゆっくり広がっていく感じなんですか?

国重:ものすごくゆっくりですけど、何かしらの変化がやって来ると、見ている世界がものすごく変わったように見えるので、プロセスが続くんだと思うんです。

劇的には変わらないけれど、鬱になって出来なかったことしか見えていなかったのが、「でも私、映画に行けている」「映画に行っている私は結構楽しいかも」と思えることが大切なんです。

問題につながれていないストーリーを探す

ーできていることがが見つからないことはないのですか?

国重:絶対ないはずがないと自分に言いきかせているところはあります。そうすると見つかる気がします。

ナラティブは過去のつながれている(本人がすでに持っている)ストーリーとは別のストーリーを探そうとするんです。例えば、「もっと人とうまくやりたい」という言葉が出てきたとしたら、「人とうまくやる」ということにおいて、過去にモデルになるような人との関わりがなかったかをきくんです。

クライアントが「一年前に〇〇さんと・・・」と言ったとしたら、「そのときにあなたはどうしてそれが可能だったのか」とききます。そこから例えば「私、あのとき話しかけられたんだ」「話しかけることができたのはいったいどこから来たんだろう」と考えていくんです。

生きてゆく姿勢

ーいろいろな人の話をきいてきて、国重さん自身が変化してきたことはありますか?

国重:最初はどうやって話を聞いていいのか、どういう方向で進めていいか分からなかったので、すごく迷いながら来たんです。今は迷わないかと言ったら、その都度、迷うわけです。

こういう線で話をきいていくことが、その人が必要としてるところには直接的にはつながらないかもしれない。そして本当にそこに行き着く確証はないけれど、その人にとってこの話をすることが大切なんだと思うことができるようになった気がするんです。

大切なことを話す場を提供できるようになってきたかな、そうしているんだという自分を、少しずつ信頼してきています。疑念がたくさんあったけど、その疑念が少しずつ少なくなってきてるのかなという気がしています。だから楽になってきているんだと思います。前はこれはどうなのかなあと悩んでいたけれど、だんだん話をきくことの楽しさや喜びが広がってきている気がします。

ー話をきいていて辛いことはないですか?

辛いときは・・・ありますよね。涙するってあるじゃないですか。そのときは泣かないにしても、思い出して、もうなんかやられたなぁと思うことはあります。
なんかね、その人のものすごく高尚な人間性みたいなものに触れるときに、やられたなという感じがするんですね。

東日本大震災のとき、東北でスクールカウンセラーをしていました。辛い話をきくよりもよっぽどインパクトが大きいのは、家を流された人の中で少ない数ではない人が、「流された家が問題じゃないんです」と言うわけです。そんなとき、何を聞いているのかも分からなくなるし、どう返していいのか分からない。それを受容として「そうなんですね」なんて返せないですよ。「ほんとに、ほんとにそれでいいんですか」と返したくなる。

そういう状況にも関わらず、人がものすごく高尚な次元でそのことを受け取り、ものすごく高尚な次元で処理しようとしていたり、意味付けをしようとしていたりする姿は、僕の臨床上のすごく大きなものとしてあります。

ー高尚な次元とはどんなものですか?

辛かった、嫌だったというレベルではなく、異次元で意味付けしたり、それを糧にしたりして次に進もうとしている、そんな姿勢のようなものだと思います。それは自動でできるものではなく、その人の「そうありたい」という姿勢がない限り、そこは生まれないと思うんです。高尚とはその姿勢のことのような気がするんです。そういう「自分に起こったことをどういう姿勢で取り組もうか」という、そんな姿勢を大切にしていきたいんです。

(インタビュー:寺中有希 2018.7.20)

プロフィール

国重 浩一(くにしげ こういち)

東京都墨田区生まれ
ワイカト大学カウンセリング大学院修了
鹿児島県スクールカウンセラー,東日本大震災時の宮城県緊急派遣カウンセラーなどを経て,
現 在:日本臨床心理士,ニュージーランド・カウンセリング協会員,ダイバーシティカウンセリング・ニュージーランド マネージャー兼スーパーバイザー,カウンセラー
専 門:ナラティヴ・セラピー,スクールカウンセリング,スーバービジョン,多文化カウンセリング

[主著]
『ナラティヴ・セラピーの会話術』(金子書房),『震災被災地で心理援助職に何ができるのか?』(ratik)

[訳書]
ナラティヴ・アプローチの理論から実践まで』(北大路書房),『ナラティヴ・メディエーション』(北大路書房),『心理援助職のためのスーパービジョン』(北大路書房),『サボタージュ・マニュアル』(北大路書房),『ナラティヴ・セラピストになる』(北大路書房),『精神病と統合失調症の新しい理解』(北大路書房)

[ソーシャルメディア]
ナラティヴ・アセンブリ:https://narrativeassembly.com/
Facebookナラティヴ・セラピーgroup:https://www.facebook.com/groups/narrativejp/

【インタビュー後記】

インタビューのあとで、国重さんから「今回のインタビューを踏まえたあなた(インタビュア)の言葉をききたい」というリクエストをいただきました。それは国重さんと私(インタビュア)の3年間のやりとりがあったからこそインタビューの中で出てきたことも含まれるため、相互の言葉があった方が面白いのではとのご提案でした。国重さんのインタビューで感じたことを書かせていただくことにしました。

2015年、私は国重さんのナラティブ・アプローチについてのワークショップを受講しました。国重さんに会ったのは今回のインタビューとその2日間だけでした。なぜ国重さんのお話をきいてみたいと思っていたのかを考えると、多分に私の個人的な興味だと思います。

私には劇的に変わりたいという欲求があります。今の自分ではない自分になれたら・・・といつも思っている気がします。なかなかうまくいかない自分に苛立ちながらどうしたら変われるだろうというのが長年の悩みでした。だからナラティブ・アプローチにも興味を持ったのかもしれません。

国重さんのワークショップのときの私のメモに「問題をなくすのではなく、問題とどう付き合うか、捉え方を少し変えてどう関わるかを考える・・・」とありました。

私は私という存在や、私が抱えている問題をなくすことはできない。でも私自身や問題とどう付き合うかを考えたり、捉え方を変えて楽になる方法を考えることはできるかもしれないということだと思います。でもこれがなかなか思うようにいかないのだなぁとよくつまづいています。

思えばこの「Being」でさまざまな人のインタビューをさせていただいているのは、読者の皆さんに素敵な方々のあり方を知ってもらいたいという表向きのコンセプトはあるにしても、見方を変えれば、今私が立ったり、座り込んでいる所から、世界の見え方、関係性の捉え方、あり方などをを少し変えて見てみるということをさせてもらっているなと思いました。

私が私の人生を生きる、驚くほどに個人的なことではありますが、どこかで誰かの人生ともつながっていて、さまざまなストーリーがあるのがこの世界なのだと国重さんとの時間で感じました。(寺中有希)