インタビューvol.18 萩原裕作さん「森で人をつなぐ」


岐阜県立森林文化アカデミーの萩原裕作さん。林壽夫(PAJ代表取締役CEO)がつくったキャンプ場に来ていました。自然の中にいるのがよく似合う萩原さんは現在、岐阜県にある「岐阜県立森林文化アカデミー」の先生であり、森のようちえんの運営をしています。萩原さんが考える森と人との関係とは…。

森林文化アカデミーへ

ーー岐阜県立森林文化アカデミーの先生になったきっかけは?

森林文化アカデミーにインタープリターコースができると、お世話になっていたコバさん(小林毅さん、日本のインタープリターの先駆者)から国際電話があったんです。当時ネイチャーガイドとしてオーストラリアのタスマニア島に家族で住んでいました。

電話がかかってきたときはすごく嬉しかった。僕がコバさんと「インタープリターが日本に広まることのひとつのベンチマークは、インタープリターの学校が出来ることだよね」と話していたんです。だからちょっと行ってみようと思って、2−3年のつもりだったのが10年経っちゃいました(笑)

最初はインタプリターを徹底的にトレーニングするつもりで来たけれど、長女の幼稚園を探していたときに、泳げる川も遊べる山もあるのに、みんな部屋の中にいるのがもったいないと思いました。川や山で子育てをしたら面白いと思ったんです。

森のようちえんをやる2つの理由

森のようちえんをやる理由の1つ目は、うちの学生を見ていて、自分が学生だった頃と何か違うと思ったんです。失敗できない感じで、これは幼児期に大事なこと失っているからなのかなと思いました。2つ目は、僕が日本を離れる頃、環境教育の世界なんてほとんど知られていなくて、「環境教育」という言葉も浸透していなかった。でも帰ってきたらみんな「環境教育」や「リサイクル」という言葉を知っているんです。でも言葉は広まったけれど、行動を変えていないのを見て、やり方を間違えたんじゃないかなぁと思ったんです。広まるのはオッケーですけど、行動を変えるのがゴールだとしたら、ゴールに進むにはたぶん気持ちの方が大事です。そしてその気持ちは「原体験」からできていると思います。だから子どものときからやらなくてはと思い、森でようちえんを始めました。最初は子ども3人からのスタートでした。

ーー森のようちえんもだいぶ広まってきて、いろいろなところにできましたね。

森には凄い力があって、そこは大人も成長する場所であり、いろいろな動植物とも出会う場所です。森のようちえんはそういうことにちゃんと気づいてもらういいきっかけだと思うんです。森のようちえんや子育てをきっかけに、もう一度大人がどんどん森につながる、地球につながったらいいなと思います。だからお母さんたちには、森のようちえんのやり方や技術だけではなくて、もっと自然につながって欲しい。そういう大人が森のようちえんをきっかけにいっぱい増えたらいいなと思います。

でもこれからは「森のようちえん」の「森でやる」という形にこだわらなくてもいいと思います。森じゃなくても、都会の中にも木や公園がいっぱいあるし、そのことをもっと知れば絶対面白いでしょう?街路樹を見ただけでも楽しめるし、虫や苔の存在に気づいたりします。僕は今、地域の保育園の自然体験のお手伝いや、校庭や園庭の自然化、改造計画にも関わっています。校庭に土を盛ったり、畑にしたり、起伏をつくったりしています。それはほんのちょっとした自然かもしれないけど、泥があり水があり、下手すると足がひっかかっちゃうような場です。

子どもの育ち、大人の育ち

ーー森のようちえんを始めて10年。自然の中で育った子たちを見ていて、意味があったなと思いますか?

最初にいた子は今、中学一年生です。意味があったかはわからないですね。森のようちえんに行ったからといって、その子そのものが変わるわけではないです。本来生まれ持ったものが変わるのではなくて、その子のままなんです。シャイな子はずっとシャイ。どこかで変化するかもしれないけれど、それが森のようちえんだったからなのかは僕は何とも言えない。

ただおそらく、その子なりの、そのものを邪魔しないようにはなっているのかなと思います。でも同じ子を2人揃えて街の中と森のようちえんで育てて比べるわけではないから、それは一概には言えない。太郎くんは太郎くんでしかないし、森のようちえんに行ったから太郎くんが次郎くんになるわけじゃないんです。

子どもは子どもとしてちゃんと育っていきます。僕は子どもは種と一緒で、ちゃんとある程度の育つ能力はあるから、太陽があって水があれば、別にそれ以上のものはいらないし、あとは邪魔さえしなければいい。踏んじゃったり、切っちゃったりしなければいい。子どもは子どもとして、持った種の力でどんどん伸びていきます。

そして周りにいる大人が、少しずつ変わってきていると思います。周りがひとつのコミュニティみたいになっていて、お互いに理解して勉強しあって協力しあっています。要するに面倒くさいこともやるわけです。うちは完全な自主保育だから、面倒くさいこともあります。その葛藤や気づきの中で、たぶん大人がちゃんと変化して成長していきます。

社会としての森づくり

そんな中で、もっと総合的に森と人をつなげるようなセンターをつくる準備をしています。いろいろな切り口で森というもののポテンシャルが広がったり、上がったりするような場にしていきたいと思っています。そこには森のようちえんがあって、パーマカルチャーがあって、馬などの生き物がいることを考えています。やっぱり森は社会なんです。日本人は森で生まれてそこで暮らしてきた人たちが大半なわけで、森は暮らしの場所です。

ーーこの10年、どんな人が育ったという感じがしますか?

森林文化アカデミーが面白いのは本当に少人数制なんです。毎年20人の学生を取りますが、教員は17人います。ほぼマンツーマン。僕自身のやり方としては、「何をやりたい?」から始まって、それに合わせて、一緒に考えていきます。教えることはないですね(笑)。僕がしていることは、人を繋いだり、場所と場所を繋いだりして、一緒にやりながらフィードバックしたりしています。

ーー学生さんはどんなことを学んでる感じがしますか?

なんだろう…あり方とか、自分に正直に生きるとかかな。生き方、あり方みたいなものを学んでくれていたらいいなと思います。だから決して科目とかカリキュラムではないですね。もちろんテクニックも教えるけれどそれは大したことではないんです。

僕の授業を教室でやることはまずないです。だって自然と子どもを相手にするんだったら、自然と子どもと毎日一緒にいる方がいいわけです。現場で学ばなくてどこで学ぶの?みたいな話なんです。その中で植物や鳥のことを伝えたり、「あのときのあの子との関わり、どうやったらよかったかな?」と話したりしながら、現場で課題を見つけた学生がそれぞれに自分の力をつけていくという話です。

ーー生き方やあり方はどうやって学べますか?

一緒にいるだけでいいんじゃないかと思います。その中で多分いろいろ感じて、気づいて。もちろん僕だけではなくて、周りにいるおじいちゃん、おばあちゃん、おじさん、おばさんから、それぞれがいろいろ学んでいます。

僕らのやっていることは人相手だし自然相手。経験の中でどんどん繰り返し学んでいって、自分の中でそれぞれの場面の中で振り返りをしていくことが大切。感覚や振り返りの仕方などはいろいろあるけれど、圧倒的に「時間」が必要なんです。

感覚をひらく

ーーどうやって自然を好きになって、自然の中で活動するようになったのですか?

好きだから(笑)。でも何でだろう…。うちに動物がいたわけでもないし、大自然の中にいたわけでもなくて、あるのは田んぼとドブ川と雑木林くらい。父が自然を好きだったこともあるかもしれないけれど、キャンプに連れて行ってもらったこともないんですよね。

でも虫を捕まえて家に帰っても拒まれなかったですね。弁当箱に生き物を入れて持って帰って見せても怒られなかったですね。ミミズやダンゴムシがかかわいい、という気持ちをちゃんと受け止めてもらえてたっという記憶があります。小学生のとき、ムツゴロウさんになりたいと思っていました。

ーー自然の知識は自然の中に入っていったらつくものですか?

日本には図鑑がいっぱいあるので十分学べます。それよりも自然の中に入っていって自然の感覚を身につけることがすごく大事です。図鑑に載っていないことをどう見つけるか、変化する姿にどう気づくかが大切です。

ーーそういう自然を感じる感覚はどうやって身につくものですか?

自然の中にいるしかないですね。自然の中で過ごす中で感覚をひらいていきます。

ーー感覚をひらくというのは、先程のあり方の話にもつながりますが、マニュアルでAを教えて、次にBを教えてというようにはならないですよね。それをどうやって教えたり伝えたりしているのですか?

リアルな体験です。めっちゃくちゃすごい体験を共有しています。あとは卒業してから気づく子もいますね。卒業して現場に出てみて、あのとき言っていたことがこれかと気づいたり。だから常に体験を一緒にしています。

そこで何がどう起きていたのかを一緒に体験をする、僕はそういう風にしか伝えられない。だって本物以外伝えられないから。方程式の世界じゃないからサンプルを見せられるわけではないです。

インタープリターの仕事も同じで、こちらの一方的な情報提供だけでは無理で、一緒に体験し、共感、共鳴していかないと相手が腑に落ちない。人が人に伝えるから、その人なりの、その人が出ていることは大事です。人間って、なんか響き合うものでしょう?

例えば田んぼに入って、足の間に泥がヌルヌルっとなる感覚は、どんなに言葉で表現しても伝えきれない。でも、一回やれば、「あー!あの感覚だよね」そして、「いいよね」とか「気持ち悪いよね」とかそれぞれが思います。それをちゃんと次の世代にも伝えていくことが大事だし、それは言葉で教えるものではなく、やっぱり体験しないと難しいものです。

森へようこそ

ーーそういう体験を提供しているんですか?

体験というか「場」を提供して、僕も一緒に楽しんでいます。子どもはリアルに響いてくれますね。なんの前提条件や知識もなく、一緒にいてくれます。響いてくれるし、つまんなかったらつまんないと言うし、怒りもします。真剣に遊べば遊ぶほど彼らも受け入れてくれます。これからできるセンターは大人も子どもも誰でも来られる場にしたいと思っています。

ーー誰でも?

誰でも来られるのが大事です。そうしないと偏るから、僕の中では大事です。だから今度のセンターは、全ての人をつなぎたい。いろいろなバックグラウンドの人に来てもらいたい。障害があったり、落ち込んじゃっている人も。そういう人だって全部受け入れますよ、森は。それは僕が受け入れるわけではなくて、森が受け入れてくれる。森は絶対にそういう場所だと思います。みんなそれぞれ違うけれど、森にはそれぞれにフィットする何かがあるんだろうなと思います。そういう森をつくっていきたいです。

(インタビュー:寺中有希 2018.11.18)

プロフィール:
萩原 裕作(はぎわら ゆうさく)
岐阜県立森林アカデミー准教授

経歴
20歳の時、日本のインタープリターの父、小林毅氏と出会い環境教育&インタープリターの道を歩み始める。

以来、奥多摩(東京)でインタープリター、オーストラリアでエコツアーガイド、そして野生動物のドキュメンタリー番組(主にタンザニアやオーストラリアの野生動物)制作にたずさわってきました。振り返ってみると、人と自然をつなぎ続けた20年間でした。
そのまま、オーストラリアのタスマニア島に家族と永住する予定でしたが、岐阜県に森林文化アカデミーというオモシロイ学校があることを知り急遽帰国。環境教育の指導者養成のための教員として配属されたのが2007年4月。

久しぶりの日本の社会は、15年前と比べて格段に環境教育の理念が広まったが、それを受ける子ども達の土台となる大切な部分(自由、考える力、生きる力等)を育む環境がないことに気づき、「自由な学び」と「森と人をつなぐ」という活動に焦点を絞りはじめた。

2009年、野外自主保育「森のだんごむし」設立、2012年「みのプレーパーク」設立の仕掛け人。

肩書き
野外自主保育「森のだんごむし」 言いだしっぺ
「みのプレーパーク」 言いだしっぺ
「自由な学びを考える会(あたらしいがっこうをつくろう会)」 言いだしっぺ
日本エコツーリズムセンター 世話人

趣味
世界放浪
野生動物に会いに行くこと
音楽(聞くのも弾くのも)

著書
奥多摩野生動物ウォッチングガイド 「ひとめあなたに会いたくて」(1995年)
立川市植物ガイド 「みちくさミュージアム」(1997年)

作品(番組)
NHKいきもの地球紀行 「華麗なインコ 子育ては土の塔」(2000年)
NHK地球!ふしぎ大自然 「求む!群れの仲間 母ライオンひとりぼっちの子育て」(2004年)
TBS世界ふしぎ発見 !「太古の地球 タスマニア タイムトリップ」(2006年)
NHK地球!ふしぎ大自然「大草原の嫌われ者 ハイエナの意外な素顔」(2001年)
NHK地球!ふしぎ大自然「地下に潜ってサバイバル コアラの仲間・ウォンバットの挑戦」(2002年)
NHK地球!ふしぎ大自然「赤土が作ったコアラの楽園 オーストラリア東海岸の森」(2005年)

プロジェクト
野外自主保育 「森のだんごむし」(2008年〜)
みのプレーパーク(2011年〜)

論文
岐阜県におけるニホンカモシカとニホンジカとの種間関係の解明を目的とする緊急調査(2009年)
小林 毅と日本のインタープリテーション(2014年)