インタビューvol.22「イヌワシが再び空を飛ぶ日」



南三陸ネイチャーセンター友の会、会長の鈴木卓也さん。南三陸の自然を楽しむ、自然から学ぶ活動をしている鈴木さんに南三陸の鳥のこと、自然と人が共生することについて伺いました。

野鳥の種類が豊富な町

ーー主にどんな活動をしていますか?

南三陸ネイチャーセンター友の会では会員それぞれが自分の得意な分野、興味のある分野で自然と関わっていますが、そのなかで私が中心となって進めているのは、コクガンの越冬数調査と、南三陸町の「町の鳥」であるイヌワシの生息環境再生プロジェクトです。

コクガンは絶滅危惧Ⅱ類(絶滅の危険が増大している種)で、国の天然記念物にも指定されています。コクガンに近縁の仲間は北半球北部に広く分布しますが、日本に渡ってくる亜種コクガンはわずか8000羽ほどしかいないと言われていて、そのうちの200羽ほどが南三陸町の志津川湾で冬を過ごします。

2018年10月、志津川湾は国際的に重要な湿地を保全するための条約である「ラムサール条約」の登録湿地に選定されました。まとまった数のコクガンの継続的な越冬地であることも登録理由のひとつとなりました。越冬数の変化は大切な基礎データなので、今後もモニタリングしていくつもりです。

ーー南三陸町は鳥の種類が豊富なんですか。

日本国内で確認されている野鳥の種類は未公認を含めて600種ほどですが、南三陸町だけでも260種、気仙沼から牡鹿半島までを含めた南三陸地域全体では300種ほどの野鳥が確認されています。分水嶺から外洋まで、多様な環境が箱庭のようにコンパクトにまとまっていることもあり、それほど広くない地域ですが、見られる鳥の種類は多いと思いますね。

野鳥との出会い

ーー鳥の数え方や調査の仕方はどこで学びましたか?

きちんと学んだわけではないんですけど、うちの町(旧志津川町)には「志津川愛鳥会」という会があって、そこに小学校4年生の春から所属していました。そこで鳥の見方や自然との付き合い方を教えてもらったんです。

ーーなぜ愛鳥会に入ろうと思ったのですか?

当時は放課後の公的な活動が今のように盛んではなく、私たちは周りの川や海岸で虫や魚を捕まえて遊んでいました。その延長で愛鳥会があるのを聞き、仲間と一緒に入りました。

あるとき、近所の川で魚をとっている最中に、カワセミが杭の上にいるのに気づいたんです。すごいきれいな鳥だなと思っていたら、その鳥がいきなりすっと飛び立って、水面にダイブして、魚を取って戻ってきたんです。それを見たのが鳥を好きになったきっかけのひとつです。

ーーいちばん好きな鳥はなんですか?

特にこれが一番という鳥はいないですね。小鳥も海鳥も好きだし、アホウドリのような外洋にしかない鳥も好きです。鳥全般が好きですね。

震災後の自然

ーー震災後、肌感覚として自然は戻ってきている感じはありますか?

南三陸はもともと海だったところを埋めて陸地を増やし、湿地だったところを田んぼにしていました。そういう場所が震災後、開発以前の環境に戻ったんです。遠浅の汽水域が出来たり、田んぼだったところが湿地に戻ったりしました。それまで見られなかったいろいろな湿地性の植物が見られるようになり、ガレキの撤去が済んだ震災後3年目くらいには生物多様性としてはすごくいい状態になりました。

でも復興工事が本格化して、湿地に戻ったところに山を削った土を持ってきて埋め立てて田んぼを復旧しました。ところがその田んぼを耕す人が誰もいなくて荒地になってしまっています。そして海岸や河川沿いには冗談みたいに巨大な防潮堤が張り巡らされつつあります。自然の豊かさに支えられてこれまで成り立ってきた地域なのに、海や川と人の暮らしを遮断する勢いです。人が安全安心に暮らすための復旧工事は必要だとしても、高台に移転して誰も住まなくなった海沿いの平坦地は湿地のまま残しておいてもよかったと思うんです。

それこそがグリーン復興だと思うんですが、行政サイドにそういう考え方がなかったことが残念でなりません。せっかく豊かな自然環境に戻ったところがどんどん潰されるのを見続けるのは、それを守れなかった自分の力不足もあいまって、非常につらいです。

ーーそんな中で自然を戻すというか、取り戻すということをやっているんですか?

全然足りていないんですけどね。町内のいくつかの団体と共同して、海岸堤防のほんの一部だけはセットバックを勝ち取ることができました。志津川湾がラムサール条約登録湿地となったいま、コクガンが安心して渡って来られるような海辺の環境を保全して行くことが行政にも住民にも求められますし、これからが正念場だと思います。一方で、南三陸のもうひとつの側面である山の環境の保全のための活動も進めています。

イヌワシが棲んでいた山

愛鳥会に入会した小学生の頃から「この町にはイヌワシがいる」「山に行けばイヌワシに会える」のが当然と思って暮らしてきました。イヌワシは日本の山の自然を代表するような、生態系のトップにいる貴重な生き物です。そのイヌワシが棲んでいるうちの町はすごい!と子どもながらに思っていました。だからイヌワシがこの町からいなくなってしまったというのはすごくショックですね。もっとも南三陸だけではなく、日本のイヌワシそのものが絶滅の危機に瀕しています。それをなんとかしたいんです。

イヌワシは世界的に見れば「森の鳥」ではなく「草原の鳥」です。森の国である日本でイヌワシが暮らしてこれたのは、人が山に手を加え利用し続けることで非樹林地、つまり草地が維持されてきたからです。かつての日本の山は、広く草地として利用されていました。牛馬の餌や茅葺き屋根の材料、そしてなによりも田畑の肥料(緑肥)として、山の草地には大いに価値があったんです。緑肥を得るために、水田面積と同じだけの面積の山の草地が維持されてきたともいわれています。そうした環境がイヌワシの棲息には欠かせませんでした。

山で刈り取られる草が、配合飼料やトタン屋根、化学肥料(金肥)に取って代わられた現代では、山の草地には経済的な価値がありません。そんななかでイヌワシの棲息に必要な非樹林地を無理なく確保するには、林業に期待するしかありません。台風の襲来も冬の積雪量も少なく、地形も気候も穏やかな「林業適地」である南三陸でそれがうまくできれば、全国に水平展開できると思うんです。

ーー林業がうまく回ると、イヌワシが育つ環境ができるのですか?

イヌワシは広げた翼の先から先までが2mほどもある大きな鳥なので、混み入った森のなかには入っていけません。ノウサギやヤマドリといった獲物を狩るには、草地や伐開地のような開けた山の環境が必要です。

戦後の拡大造林のときに大量に植えられたスギやアカマツの林が伐採時期を迎えているにも関わらず、木材価格が低いために「伐れば伐るほど赤字」と言われて適正な管理がされず、「植えて育てて伐ったらまた植えて」という林業の基本が回らなくなり、日本の山はこれまでなかったほど大量の樹木で埋め尽くされています。利用しないなら自然林に戻すという方法もありますが、すでにある人工林のうち、林業適地と目される場所は、山の資源の収奪ではなく、持続可能で賢い利用方法としての林業をきちんと確立し継続していくべきです。一次産業としての林業が持続可能な形で確立するのが一番ですが、その副次的な効果として、イヌワシを頂点とする多くの非森林性の動植物が暮らせる環境が常に一定程度維持されて、山の生物多様性が豊かになるのなら、こんな良いことはありません。

日本列島に暮らしてきた人々は、それこそ縄文の昔から、山に手を入れ、山の資源を利用し続けることで暮らしを成り立たせてきました。だからこそ、放っておけば気候的極相としての森林に覆われてしまうはずのこの国で、イヌワシを中心とした非森林性の生きものたちもずっと暮らして来られたんです。それは云わば、私たちと一緒にこの列島上に暮らし続けてきた隣人みたいなものです。そんな彼らがいなくなってしまうのは実に寂しいことだと私は思うんです。

ーーイヌワシがいなくなったのは?

南三陸地域で確認されていた4ペアのうち、3ペアが2010年前後に相次いでいなくなってしまいました。現存する1ペアも、最近ではオスしか姿を現さず、ペアを維持できていない可能性が高いです。そういうことが日本全国で起きていて、1990年頃に繁殖成績が急激に下がり、2000年代に入ると消失してしまうペアが増え、現在ではこれまでに見つかったおよそ300ペアのうち100ペアほどがいなくなってしまいました。

ーーイヌワシはやって来てくれるでしょうか?

ちゃんと定着してくれてはいないんですけど、テリトリーを持たずに漂行しているのであろう個体の姿を見ることはたまにあります。10月末の調査のときにも、まだ若くて白斑のあるきれいなイヌワシが、かつての繁殖谷の上をゆっくり飛んで、そのまましばらく飛んで見えなくなっちゃったんですけどね。

きちんと林業が回って、伐開地が増えてくれば、将来的にそうした漂行個体がいついてくれる可能性はあります。その前に日本のイヌワシが絶滅してしまったらアウトなので、いまは本当にギリギリのところだと思います。

ーーでもすぐには森、山を変えるのは難しいですよね。再生にはどれくらい時間がかかるんですか?

例えば杉林の場合、いまある杉林を伐採して新しく杉の苗木を植えたところは、植えた杉苗が他の雑木に負けずに育つよう10年くらいは下草刈りをします。つまり伐採後10年ほどはイヌワシの餌狩場となり得る開けた環境が維持されることになります。そして植えた杉が大きく育って次の伐採時期を迎えるまでに50~60年かかります。そのサイクルがきちんと回るようになれば、山の人工林面積の1/5~1/6くらいは常に開けた環境になりますよね。ただし、経済的に持続可能なものでないと長続きしません。収支が立ち行かず経営が破綻してしまったら元も子もない。幸いにも南三陸町には、代々の林家で先進的な経営を目指す若い林業家がいて、彼が管理する民有林とそこに隣接する国有林、さらには町有林も参加して、「イヌワシと共に暮らせる林業」を目指して官民連携して取り組むことになりました。これがうまく廻り出すと、全国のイヌワシ生息地、そのなかには南三陸のように国有林と民有林とが入り交じった林業適地も少なからずあるはずなので、そうした地域でのイヌワシの棲息環境保全に向けた非常に重要な先進事例になるのではないかと期待しています。

隣人を守りたい

ーー森をつくって、イヌワシを呼び戻したいというのはどんな気持ちから来るのですか?

そう滅多に逢えないながらも、小さい頃から馴染んできた隣人のような存在なので、この町から、この地域から、あるいはこの国からイヌワシがいなくなって欲しくない!というのが一番大きいです。

プロの林業家でなくとも参加できる山の作業として、「南三陸イヌワシ火防線トレイルプロジェクト」を現在進めています。「火防線」というのは山火事の延焼防止のために稜線上に設ける幅広い通路上の裸地のことですが、これもやはり管理がされなくなってほとんどヤブと化しています。それを手作業で刈り払って、少なくともトレイルとして歩けるようにしようというプロジェクトです。この火防線も、非森林性の動植物の棲息場所となり得るうえに、イヌワシの餌狩場として使われていた記録もあります。なにより、前に進むのも難しかったヤブを自分たちの力で切り開いて歩けるようにしたという達成感が実感できるので、作業後の満足度が非常に大きいです。そうした形で山に親しんでもらうことも非常に大事だと思いますし、自分たちが整備した小径を登っていくと、山のてっぺんから自分たちの暮らす土地をゆっくり俯瞰的に眺めることができます。それは特にこれからを担う子どもたちにとって、とても大切なことだと思うんです。今のうちにきちんと流れをつくって、私がいなくなっても流れが途切れないようにしたいので、一緒にやってくれる若い人を増やすことも目標にしたいですね。

イヌワシが飛ぶ空を

ホントのことを言うと、私としてはうちの町の山にイヌワシがいてさえくれればそれで十分なんです。毎日山に行って逢いたい、記録を取りたい、写真を撮りたいとはあまり思っていません。いてくれるならそれでいいんです。

今は山にいてくれないので自分で積極的に動かざるを得ないんですけど、安定していてくれるようになったら私は家で寝てても良いなと思います。いてくれるだけで嬉しいんです。

毎年のようにちゃんと雛が育って、たまにぶらっと山に行くと、白斑のきれいな若いワシが飛んでいてくれる‥というのが理想ですね。

ーー火防線プロジェクトは続くんですか?

最終的には町境を全部歩けるようにしようと仲間内で話しています。南三陸町は気仙沼市、登米市、石巻市と境を接しているんですが、その境界線がほぼ分水嶺と重なります。うちの町でいうと降った雨が町内を流れ下って志津川湾にそそぐか、あるいは町外に流れ出て内陸の北上川などに合流するかの分かれ目の分水嶺なのですが、それを全部たどると60kmほどになります。それをぐるっとトレイル化して歩けるようにしたいんです。

作ったら作ったで維持管理が必要になるわけですが、それも楽しみながらやっていきたいですね。生きているうちに開通すんだべか?って感じなんですけど(笑)

人がどんどん入れ替わっても、トレイルを歩いたり走ったりを楽しみながら、維持管理する流れができ、自然と人との関わりが続いていったらいいなと思います。

(インタビュー:寺中有希 2018年11月16日)



プロフィール:

鈴木 卓也(すずき たくや)

1971年宮城県南三陸町志津川生まれ。岩手大学人文社会科学部卒。
1996年から2007年まで志津川町(合併後は南三陸町)役場に文化財保護担当として勤務。退職後、南三陸町戸倉の母方の生家を改築した「農漁家民宿かくれ里」を管理運営していたが、東日本大震災により流失。

現在は環境コンサル会社の下請け(猛禽類を中心とした鳥類の調査)などで生計を立てている。云わば、鳥たちに食べさせて貰っている状態。
南三陸ネイチャーセンター友の会会長、南三陸ワシタカ研究会員、南三陸町環境審議委員、南三陸町文化財保護委員。

南三陸ネイチャーセンター友の会

南三陸火防線プロジェクト

志津川湾の自然:2つの重要な特徴〜ラムサール条約登録へ向けて〜

絵本:イヌワシの棲む山