インタビューvol. 33 倉成英俊さん「”面白い”が生まれるところ」



A面(本業)以外に、個人的なB面を持った社員たちが集まり、「いままでと違うやり方=planB」を提案する「電通Bチーム」の倉成英俊さん。

とある会場で、終始、楽しそうに、嬉しそうにプロジェクトを取り仕切っている倉成さんを見ていたら、わくわくが止まりませんでした。何が伝播してあの会場はあんなにあたたかかったのだろう、そんなことが知りたくて、さまざまなイベントやプロジェクトを手掛ける倉成さんにお話を伺いました。

面白いから面白い

ーー最近の倉成さんは何を面白がってやっているのですか?

うーん、面白くないことをしていないから、なんとも言えないですね。面白いことしかしないですね(笑)

ーー倉成さんが「面白い」と思う基準はどこかにありますか?

プロジェクトというのは原石みたいなものなんです。言語化しにくいけれど、原石がきらきらしていそうか、いなさそうかの違いみたいなものですね。

あるものを見たときに、「そのやり方は今までになかった」「解き方が美しいな」「それは誰かが本当に助かる」「バカだね〜」と思うものは、「面白い」です。他には「それは世界でもあなたにしかできない」と思うような「才能」もそうですね。

神様から与えられた才能はみんな別々ですが、その才能をちゃんと大腕を振って表現していたり、筋道が通っているものは、素晴らしいと思うんです。そういうものは得てして面白いものになっているのではないかと思います。

面白いものはいろいろありますけど、見たときに、好奇心がくすぐられるものとインスパイアされるものの2つが特に面白いですね。

ーー好奇心とインスパイアは、どんな違いですか?

インスパイアは、頭の中でぶわーっと広がります。いろいろなものがつながっていき、それぞれの頭に着火されたり、種が埋め込まれた状態になります。頭の中に木があるとしたら、ぶわーっと枝が伸びていく感じです。

好奇心の方は、誘われちゃう感じですね。もっと掘りたくなって進んでいくと、「えー、そっちに道があるの?!」「そっちの道は行ったことがないけれどいいな」「そっちにちょっと行ってみる?」という感じで行ってみたくなります。

ーーそれでちょっと行ってみちゃう…。

海外などでレストランを探すときに、あっちの通りをちらっと見てみて、こっちにはなさそうだねと思ったり、ネオンや街の雰囲気を見て行く方向を決めたりするのと同じように、覗きながら行ってみるという感じです。

出会う喜び

ーー普段、どんなことを大事にしていると面白いことに出会えるようになりますか?

僕はいろいろなジャンルのものを面白がって見ていると思います。あれに使えそう、これに使えそうと考えたりしています。

面白いヒトやモノやコトに出会ってしまうのが、人生の最大の喜びだと思うし、そこから広がっていきます。

ーー勝手に広がっていくのですか?努力していくから広がっていくのですか?

そういうものは化学反応だから勝手に爆発しちゃいます。実験室であれとこれを混ぜて、ぼーんと爆発したらそれは爆発事故ですが、ハッピーな爆発事故もあります。爆発音がいい音だったり、出る煙がピンクだったり、思いのほか匂いもよくて、しかも結晶が金かダイヤっぽいものができてたり…。そんなことないですか?!

ーーそういうの、うらやましいなと思ってきいていました…。

人と人の関係もそういうものだし、物もそうです。例えば、椅子は人にどういう風に座ってもらうかを考えて、デザインがあります。身近な人のためにつくった椅子がいいものだからと量産されることもあります。

世界を面白くする

仮にいま死ぬとしたらと考えたとき、「あれをつくれたのがよかった」と思えることがいくつか思い浮かんだんです。そういうときに、何をして生きていくのかを考えたんですけど、ひとつは「世界を面白くする」一端を担うというのが自分の仕事かなと思いました。アイデアを生む仕事を多分一生続けていくのはそのためかなと思います。

何をするにせよ、ジャンルはあんまり関係ないんです。この世に関わること全て、何でもいいんです。知見が足りなければ勉強すればいいし、詳しい人にノートを借りたり、その人に入ってもらえばいいんです。

それを違う言葉で言うと、僕がやりたいと思っていることは、いい話を増やしたいということなんです。「ちょっときいてよ」と言いたくなって、きいた人が「すごくいいねー!世の中、捨てたもんじゃないね」というような話です。そのいい話を小説にしたりするのではなくて、いい話のリアルをいくつ増やして死ねるかというのが、割とやりたいことかもしれないです。

知恵を生む

ーー「面白い」と「いい話」の軸になっているものは何ですか?

「面白い」の軸は知恵。知恵を使う、知恵を生むことです。「いい話」と言うのは感情。それがニュースになるとか、ならないとかは関係なくて、誰かひとりのためであっても、誰にも気づかれなくてもいいんです。むしろ気づかれないようないい話が最上だと思うんです。

ーーその知恵がいっぱい増えてくると、どんな世界や社会になると思っていますか?

もっと有機的になるかもしれません。いま、僕たちが生きてる時代は、僕たちが運営してるけれど、つくっていない感じがするんです。

ドッジボールみたいに、生まれる前からルール決まっていて、ボールを当てられたらアウト。いきなりそういう場に生まれてきて、周りの大人たちにこの世のルールを教えられて育っていきます。

それがうまく機能していればいいけれど、いつの時代もちょっと前につくられたルールが機能していません。みんなでうまくバランスを取ったり調和していかなくてはならないときに、もっとみんながハッピーになる、わくわくするためには、知恵でしか解消できない気がするんです。

つながる・つなげる

もうひとつ、これは自分の役割かなと最近思っているのは、あらゆるジャンル、いろいろな世代もしくは、過去の知恵のハブになって、違う業界に提供することかもしれないと勝手に思っています。

いろいろな業界にある方法論を、別の業界のハブになってつなげていきたいですね。教育業界に持っていったら、「えー!?そんな研修あるの?」と言われたり、逆にビジネス業界に教育関係のプログラムを使うニーズがあったりします。

ーーなぜ新しいことを次々にやるのですか?

面白そうだから。

ーーその一点につきるですか?面白そうだから、面白いから以外には何かあるのですか?

実際に何かをすると、なかったものが現実になります。頭の中のフィクションだったものが、ノンフィクションになっていきます。形になると楽しいですね、そこからまた何かが起こっていきます。

ーーなかったものが形になるとき、倉成さんはどんな気持ちですか?

ほっとしてるというのが一番かもしれません。それと同時に、そこから次の化学反応の楽しみがありますね。

ーーつくったことがないないものをつくると、何かが起きますか?

起きますね。それやっていなかったら会わなかった人もたくさんいます。やったかやっていないかによって、人生の角度がくーっと変わります。

発明家への道

小学1年生のとき、大きくなったら発明家になりたいと文集に書きました。それで理系に行きましたが、アイディアで生きていきたいというのは多分あったんだと思うんです。

ーーまさにいまも発明家ですね。

モノでもコトでも良かったんですね。いいポジションに流れ着いたなぁと思っています。

ーー子どもたちに発明家になるのに大切なことは?ときかれたら何と答えますか?

高2のときの数学の先生が「公式は覚えるな」と言ったんです。公式を覚えていても、覚え間違えたら、全部間違えてしまうから、公式をいつも導き出せるようにしとけよということだったんです。

公式は誰か偉い人が勝手に決めたものではなかったんだ、全て自然の摂理、理由があったということにがーんと来ました。

ーーそういう考え方の幹を教えてくれたのですね。

それがなかったら「アクティブラーニングこんなのどうだろう研究所」の「こんなのどうだろう」という言葉はなかったと思うんです。教育は、文科省や偉い人が決めた公式に従わなくてはいけないと思いがちですが、みんながそれぞれの感覚で必要だと思うことを世の中に提唱して、シェアされたり議論すべきなのではないかという思いがあるので、「こんなのどうだろう」という言葉が入っているわけなんです。

学校が教えてくれなかったこと

逆に学校が教えてくれなかったことは、大人が楽しいということです。14歳くらいのとき、18歳位で青春は終わりだとなんとなく思っていたんです。

実際はそうではなくて、どんどん自分の裁量で選択できて、自分で責任を持って自由を獲得して好きにやっていけるようになりました。

子どもの頃、なんでもっと「大人は大変そう」ではなくて、「大人は楽しい」ということを教えてくれなかったのかなと思います。

ーー倉成さんは「いつも楽しそうですね」と言われていそうですね。

いやいや日々戦いですよ(笑)。正解は誰もわからない。

僕たちが通っていたときの教科書に正しいと書いてあったことが、いまの教科書では間違いということがあります。教科書すら信じてはいけません。正解は誰もわからないから自由にやったらいいんです。

その割には大人は答えを求めます。なので大人が言うことも教科書も信じずに、「この人の言うことは本当に素敵だな」と思う人のことは、自分で責任を持って選択して、信じてほしいです。

(インタビュー:寺中有希 2019. 11.12)

プロフィール:

倉成 英俊(くらなり ひでとし)

1975年佐賀県生まれ。自称21世紀のブラブラ社員。小学校の時の将来の夢は「発明家」。2000年、電通入社。クリエーティブ局に配属以降、広告のスキルを拡大応用し、各社新規事業部とのプロジェクトから、APEC JAPAN 2010や東京モーターショー2011、IMF/ 世界銀行総会2012日本開催の総合プロデュース、佐賀県有田焼創業400年事業など、さまざまなジャンルのプロジェクトをリードする。

2014年から、電通社員でありながら個人活動(B面)を持つ社員50人と「電通Bチーム」を組織、社会を変えるこれまでと違う方法やプロジェクトを提供中。2015年には、答えのないクリエーティブな教育プログラムを提供する「電通アクティブラーニングこんなのどうだろう研究所」をスタート。バルセロナのMarti Guixeから日本人初のex-designerに認定。
https://bbbbb.team/
http://www.konnano-dodaro.jp/