インタビューvol.41長井雅史さん「自分のかたちのままそれぞれの形が共存する世界 」


「対話のことば オープンダイアローグに学ぶ問題解消のための対話の心得」共著者の長井雅史さん。今秋、プロジェクトアドベンチャージャパンとのコラボで6回シリーズの「Dialogue Journey 〜「わたし」にとっての「先生」を紡ぎなおす〜」という対話をベースにしたワークショップを行います。

自然のまま

ーー何をしている人?ときかれたら何と答えますか?

わかりやすいところでは、コーチングや対話を通して人材開発や組織開発をしています。

表れているdoingレベルではなく、自分の中心にあるコアな部分としては「人にとっての自然の姿」や「自然な暮らし方」というのは何なんだろうということが大元にある問いです。

いまは千葉県いすみ市に古民家を借りて住んでいて、簡単にいえば暮らしの実験みたいなものをしています。自然とのつながりもありながら、共同体として生きるとは何なのだろうかということを生活をしながら実験しています。

ーー長井さんの考える「自然に」というのはどういうものですか?

まず感覚的に話すと、「自然な状態」と「不自然だな、ちょっと違和感を感じるな」という状態があると感じています。そういう意味では「自然な状態って何だろう」というのは、自分の中の問いのひとつであると思っています。

暫定的に出てくる言葉を出してみると、「その人がその人の形のままあれる」ということです。その人の形を生かして生きることができたり、互いの形を生かし合いながら人と共に生きることができる状態です。

人にはその人の先天的なものと後天的なものをかけ合わせた、その人だけしかもっていないギフトやタレントみたいなものがあると感じています。

コーチングは、その人しか持っていないものは何なんだろうというものを共に見出していって、それが育まれていったり、形になっていくということを後押ししているものだと思っています。

対話の世界

ーー対話の方は?

対話の前提は「一人ひとり生きている世界が違う」ということがあります。それは一見当たり前のようにきこえますが、そこが大事な前提として置かれているというのが対話の特長だと思います。

僕自身が対話が大事だと思ったり、対話の文化を広げたいと思っているのは、「その人がその人の形のままあれる場」が広がっていくといいなと思っているという背景があります。

ーー長井さんは自分がありのまま生きている感じがしますか?

まあ、ケースバイケースですね(笑)。いまは軸の部分はそうだと思いますが、でもブレるときはめちゃくちゃあります。

例えば、僕はこの場にいながら、声を出しているときに、こんな感じでいいんだろうか、場に合っているのだろうかという不安に飲み込まれそうになっています。その中で勇気をもって、いまの自分の内側から湧いてくる声を出そうとしている内的葛藤もあり、人とのコミュニケーションでは常にそういう葛藤が起きている感じがします。

ーー「いまの自分の内側の声」を大事にしているのですか?

そこに自覚的であることはすごく大事だと思っています。裏を返すと、僕も他の人も、ついつい「不本意じゃない選択」をしがちな性質があると思います。

「不本意じゃない選択」というのは、過去の自分の体験から表れている思考パターンなどから生まれていると思っています。人にはそういう性質があるからこそ、僕は自分が発している声やしようとしている選択が本意なのか不本意なのかということに、なるべく気づくようにしています。

対話との出会い

ーー対話との出会いは?

大学2年生くらいのときに、デヴィッド・ボームの「ダイアログ」、マーシャル B.ローゼンバーグの「非暴力コミュニケーション」という本に出会いました。その頃、僕は人との関わり合いにおいて、ちょうどいい塩梅みたいなのを探していて、自分にとっての希望の光みたいな感じがありました。

対話というものが、それぞれの声や体験している世界を「両方ともあるよね」と認めたうえで、混じり合いや交わし合いから生まれてくる、兆しやアイデアを掴んでいくような行為だということを知ったときに、それはめちゃくちゃ自分が求めているものだと思いました。そこからぐっと入っていきました。

ーーどうしてその塩梅を求めていたのですか?

僕がずっと困ってきたからというのがあります。例えば友達付き合いの中での僕自身の悩みや困りごとは、自分の我を出しすぎるとどこかで痛い目にあう自分がいたり、人が離れていくということがありました。

一方で、どこの学校にもあるスクールカーストのお山の大将や存在感の強い人に合せすぎていると、居場所は確保されるけど、自分の一部しかそこに存在できない、フルでそこに存在できないという葛藤を学生のときにずっと抱えてきていました。

人と共にある

ーー対話を通して、対話と出会う前と変わったことはありますか?

変わったことはたくさんあるだろうと思います。対話だけが要因だったかはわかりませんが、出会う前の自分と、対話というものが自分に馴染んできて、自分なりにゼミで研究していたときを比較すると、人と共にいられるようになったという気がします。

それまではどこか共にいられていない感覚がありました。自分をフルに出しすぎたら離れられてしまうし、逆に合せていると自分の半分しか出せない。どこかで何かを諦めて人と過ごすという体感覚がずっとありましたが、それが「人と共に生きることができるんだな」という感覚に変わってきたのは、自分の人生にとっては大きかった気がします。

ーー自分を全部出しても共にいられるようになったということですか?

そうですね。自分も相手も、それぞれの違いがある中で、なるべくありのままで関わり合えるような状態を感じられる機会が増えてきたという感じがあります。

置いておく

ーー自分を出したのに離れていかなくて、お互いのことを理解できるとき、その真ん中にある大事なものは何ですか?

対話に触れ始めて自分の中に残っているエッセンスは、デヴィッド・ボームの「ダイアログ」に出てくる「保留」という感覚です。

「保留」というのは、自分の中から生じてきた意見や感覚があったときに、それを目の前に掲げるというような言い方をしています。出てきたものをないものとして抑えるのではなく、出てきたものを相手にぶつけるのでもなく、それがそこにあるんだなという風に目の前に置くこと、それが「保留」という感覚だと書かれています。

これまでの自分を振り返ると、例えば、自分を100%出して相手に離れられた体験も、100%出していたから離れたわけではないのかもしれません。「自分はいまこうなんだ」ということを中庸に置くことをしないで、それを押し付けるような主張があったところに要因があったのかもしれません。

おそらくそれは、自分のことをわかってもらいたい、認めてもらいたい、自分のことを見てほしいというような渇望感みたいなものに、自分自身が無自覚だったのではないかと思います。

そこを自覚していたら、自分の主張の強さを理解して、自分でそこを満たしてあげることもできたかもしれませんが、無自覚なまま、他者への期待の押しつけとして表れていたのかもしれません。

「あ!自分の中にはこれがあるんだな」と思ったものを、ただあるものとしてその場に出すという感覚が必要だったんですね。いまは相手から出ている声に対しても、「あ、それが相手の中にあるんだな」という風に思います。主張の強さも含めて相手を受け入れて、そういう声があるんだと受け止められる姿勢を大切にでき始めてから、自分の中に変化みたいなものが起きている感じがします。

対話の現場

ーー対話を体験した人たちは?

参加してくれている人の体験を察してみると、普段自分が生きている生活や仕事の中では満たされていない何かが満たされている感じがします。どこか抑圧しなければいけない部分が日常の中にある場合に「自分としてあれる」ということが、起きている体験としてあるんだろうなと思います。

ーーそういう体験を通して長井さんはみんなにどうなってほしいですか?

そこで何が起きるかというのは、一人ひとりによって違うと思っているので、具体的な部分はありませんが、然るべきことが起こればいいなと願っています。

自分の形のまま

ーー然るべきこととは?

今のその人にとっての必要な気づき、ですかね。そこに関してはコントロールできないので、何に気づくかはその人の中にしか内在していません。それが紐解かれる場として、対話の場があるといいなと思っています。

ーー対話、共生、自然があって、その先は何か見えているものはありますか?

僕の願いとしてあるのは、冒頭に話したような、それぞれが「自分のかたち」を生きて、そのうえでお互いの形を生かし合って共に生きられるという状態がいいのではという感覚があります。自分の具体的な活動はそこに向かっていると思っています。

最近、ちょっとずつやっているのは、一人ひとり、その人にしかできないことが形として成り立っていくことへのサポートです。

その人しか持ち合わせていないタレントや、その人の生い立ちでしか届けることができないものがあるので、それをいまの社会の中でどう価値発揮するかのサポートをします。その人のタレントが生業として成り立つということに対しての足がけとなるということです。

往々にして自分の持っているタレント性をうまく仕事に落とせていない人がいます。そこには「◯◯円くらい稼がなくては」などお金に対してのブロックがあるので、その部分のチューニングをしたり、その人がどういう循環の中で自分のタレントを生かすことを望むのかということに対してサポートしていくというのもあるかもしれません。そんなようなことをこの先の数年で形にしていきたいと思います。

声をきく

ーー長井さんにしかない形は何だと思いますか?

いくつかあると思うんですけど、ひとつは、そこにある「声」があるものとして認知されたり、場に出てこられるということかなと思います。

あとは、それと関連しているかはわかりませんが、「時を飛ばす」という言葉がいま自分の中から出てきました。たぶん、いまのこの社会のメインの時空間とは違う時空が自分が場にいるときには現れると思っています。

そこにおいては、あらためて大事なことを見つめ直せたり、何か根源的な問いを見つめ直せたりします。日常のスピード感ではなかなか触れられない問いというものに、触れられるような時空間が生まれやすいなと思います。

(インタビュー:寺中有希 2020. 10.05)

プロフィール:

長井 雅史(ながい まさふみ)

慶應義塾大学政策・メディア研究科修士課程修了
SFC研究所上席所員
米国CTI認定プロフェッショナル・コーアクティブ・コーチ(CPCC)
日本の同コーチ養成機関において当時最年少で資格を取得し、対話の研究を経て独立。コーチングや対話を通じて人・組織の変容に関わることや、対話についての研修・ワークショップ、オンラインコミュニティの運営を行う。

プライベートでは自然とのつながりの中で生きる暮らしの共同体づくりを実験中。共著書に『対話のことば オープンダイアローグに学ぶ問題解消のための対話の心得』(2018年)